悲しみを悲しみのまま愛せますように
生きてたらいろんな悲しいことや辛いことが起きるけど、あまりにつらい時、現実から目を背けたくなって、それを何か昇華させたり、合理的に思おうとしたり、素晴らしい何かへつくり変えようとしたり、してしまう。
だけど悲しいことを悲しいままに、味わえたらどれだけ豊かだろうと思う。言葉になんかせず、ただじっと悲しいままいられたらどれだけ自由だろう。
私たちは生活しなければならないし、生きなければならない
だから、悲しい時はうちひしがられてなんていられなくて、だから早く解釈をして、追いやって鞭打って生活しないといけない。
だから「悲しめることが正義」とは全く思わない。誰だって、夜は怖い。
ただ、悲しみを悲しみのまま愛せることは、とても美しい。
そうする人の器は、大きなやさしさと愛でできている。とても柔らかな感触がして、ああ、敵わないと思う。
悲しみを愛せるのは、希望を感じ取っていられるからだろう。
どんなに目の前が真っ暗に思えても、その中にひとすじの光を見つけられるから、だから人は愛になれるのだと思う。
目の前のつらいこと、悲しいこと、苦しいことに目の前を真っ暗にしないで、五感をつかって、できるだけ多くの悲しみを美しいねと愛せる、そんな豊かな存在でいたい。愛そのものでいたい。