すきもいろいろ、人もいろいろ

狭いコミュニティにいると思考が凝り固まるんだな、という例を間近で見て改めてぞっとしています。それも悪いことではないとは思うものの、ね。

好きっていろいろあるなと、最近よく考えます。きれいでふわふわした好き、強固で意志のはっきりした好き、あやふやな好きなどなど。人によっていろいろな好きがあるし、それを侵すことは誰にもできないはず。だから「攻撃」するんだよなあ。人間って面倒。

他人の気に食わない「好き」を、頭ごなしに否定するのは極めて愚かだなと思いつつ、それを自分はやっていないかとも振り返ってみる。まあきっとやっている。私はそれが「嫌い」だから。いくら偽善ぶったところで、我が身は汚いものです。ただ、それが人間だからとふんぞり返ることはしたくないなあ、と身を縮こまらせています。人間として堕ちたくないなあ。

インターネットが良くも悪くも普及した結果、好きの声も嫌いの声も肥大化しているなあと思う今日この頃。だから余計にインターネットは疲れるし、その毒に煽られてどうしようもない毒を吐いていく。それって極めて不毛だなと思うわけで。じゃあ100%それをしないで生きていけるかと言えば、私は仏陀ではないので無理です。とはいえ意識することはできるかなあと。

明確な意思を持ち、それを正しいと思って自身を奮い立たせるのは大事だと思うものの、それが他者への無用な攻撃になるのはよくないなあ。少なくとも、その否定と侮蔑の言葉を使って述べた事項について、私は好んでいるものだからとても気分が悪いのです。あとそれ、どうしてそういう名称になったかのソースありますので、それも確認せずに批判するのはいっそのこと笑えますよ。おっと言葉が強い。

己を顧みるのは難しいし、それをしていると思い込んでいることもある。なんとも人とは度し難い生き物だなと思うなどする今日この頃です。ああ、私は愚か者にはなりたくない。

@chihane19
つらつらと。