実家でカレーを振る舞ってもらった。やったね。しかも味噌汁もついてきた。ラッキーである。
幼い頃から、実家で白米のお供をするスープは味噌汁であった。そのおかげで私の認識はカレーと一緒に出てくる汁物も本来は味噌汁であるとなっている。家だと面倒でレトルトで済ませてしまうけれど。
そして、カレーの具についても多少の認識がある。それは、ごろっごろに大きいもの、ということ。じゃがいもも、にんじんも、なにもかも、ごろごろに大きい。もぐもぐと咀嚼できるもの。それがカレーの具という認識。ただし、私が作るとほぼ全部溶けちゃうんですけどね。残るのは少しのにんじんとピーマンとか豆くらい。なんかこう、つい煮込んじゃうんだよね。
そんな些細な違和感を積み重ねて一人暮らしをし、実家に帰ると正解、というよりも納得できるものを目にし、口にする。なんでこう、再現できないかなあと不思議にも思う。同じ材料を使ってるはずなんだけども。ああ、レシピが違うからか。否、教えてもらったレシピで作った煮魚が違う味になったんだよな。使ってる調味料に違いがあるからそれもあるのかもしれんが。
不思議だなあと思いながら食べる実家のカレー。最近はかなり塩分を気にした生活をしていると聞いていたので、塩気の薄いカレーである。でも不思議と懐かしさと納得感を覚えるのはなんでだろうか。
一人暮らしをして何年も経った。その中に私の家ならではの正解はある。でも根本にある正解に近づけるのは難しい。そんなことを考えながらおかわりをするのであった。