ふふふ、ふふ

麩の調理って難しい。そこまで小難しく考える必要なんてないだろ、と思わなくもないんだけども、なんかこう、上手いこといかない。だからこそ、麩を使った調理で、私が普段考えないものを作ってくれる人が大好きです。

食材を目にした時、複数の調理法が浮かぶものもあれば、特定の調理法しか思い浮かばないものもある。前者は前者で迷うのだけど、後者は選択肢が狭まって「うーん、今日はその気分じゃないな」ってことになりがち。まあね、お前が使っている板で検索しろよという話なのですが、それすらも億劫な時もある。

つい、ね。麩は煮るしか考えないんですよ。炒めてもいいじゃんとは思うし、その時はかつおだしの味にすれば何も問題ないはず。そうと分かってるのに、脳味噌が導き出す調理法は「煮物」なんですよね。不思議だよな。これは完全に、麩という存在が私の中で「煮物にするとおいしいよね。しみしみのやつが好き」で固定されているからなんですよ。こだわりっていうのはこういうときに厄介。

もちろん、麩を水に戻してさ、卵を纏わせてさ、それを炒め物に使った料理も大好きなんだよ。今回食べた麩のチャンプルー、とても美味だったしね。私は沖縄料理のかつおだしが効いた料理がとても好きなのだ。ご飯にもお酒にも合いますし。でもなぜかそれを自分で作ることがほぼない。

家に麩があるとついつい煮物を作るってのもあるし、チャンプルーを作るときは脳直でゴーヤを使ってしまう。そうなんだよ、ゴーヤもさ、チャンプルー以外にどうしたらいいのか迷う食材。好きなんだよ、ゴーヤも。苦みが良いと感じられるようになって嬉しかったもの。

なんてぐちゃぐちゃした思考は美味しいを目の前にあまりにも無力。あっという間に溶けていき、ああ次はいつどこで麩のチャンプルーを食べるのかなという思考が脳内を占めていくのです。

@chihane19
つらつらと。