たくさんのひとのむれ

そんな中を何も考えずに歩くのは楽しい。雑踏の中に溶け込んでいく感覚は面白いんだ。私が私でなくなる感じ。個が消えて全になる。でも結局は個の集まりでしかないと不意に気がつく。そうして周囲を見回すと、音が復活する。

そうしたら、ああここは街中なのだと気がついてしまう。そうなるともう、群れに紛れ込むことは叶わない。私は私になってしまう。もう、全になれない。

無論、雑音がきついなという時もある。そういう時はさっさと脇道にそれるのがいい。人の群れに溶け込めない時は無理をしないに限る。無理をしても、結局混ざり合うことはできないからね。拒絶反応が強い時に街中に行くものではない。音がうるさくて、心がざわついて仕方がなくなる。

雑踏の音がうるさくても、まあ今日は大丈夫だとうろうろした。国内外、たくさんの人がいる中を目的もなく歩き回る。あ、一応目的はあった。一日、最低七千歩を歩く。そのためにうろついているのだ。埃と人の匂いに満ちた場所を歩く。目に飛び込むのは原色の看板。文字が脳内を滑ってどこかに落ちていくのは、きっとそれに興味がないから。

知らない誰かがあっちこっちに行き来する。きっと彼らの大半とは二度と会うことはない。あの瞬間だけ、たまたま邂逅する誰か。彼らが何を話していたかは忘れた。耳に入り込んだ声は意味をなすことなくどこかへ吐き出されてしまったのだ。きっと、きっと、私の行動も網膜を焼くことはない。ただの背景として消化される。そうやって、私は街中に溶けている。

繁華街のお散歩は不思議です。電車に乗ってやっとこさ私としての感覚を思い出すから。そうやってまた近いうちに私は全に溶けるのだ。街を歩いて行くのだ。

@chihane19
つらつらと。