久々に帰って来たしずインである。決められた文言を出力するタスクがあると、こういう書き散らしに割く出力リソースみたいなものが下がるらしいと気付いた。これが「頭がいっぱいになる」という感覚なのだろう。そこから解放されつつあり、ふと書きたいな〜書けるな〜と思って僕は帰って来たのである。
最近の話。ふと思いついてちょっといい傘を買いに行くためにオシャレ・ストリート&タウン(という偏見しかない場所)へ。一応念のためちゃんとした格好で行こうと身繕いを行うあたり、かなり偉い。行ってみたら意外とそこまでではなかったし、都会の駅前セットみたいなのはきちんと揃っていて安心した。ただ、立ち寄った店でいいな〜と思った洋靴の値段が1ケタ上だったことにはショックを受けた。己が審美眼を喜ぶべきなのか、懐事情を思い出して悲しくなるべきなのか?こういう時は同時に相反する気持ちに襲われてしまう。
まあ傘を買いに来たのだから傘を買ったのだが、長年折り畳み傘の折りたたみヘタクソ芸人をやっているかつ、そのへんに長傘を忘れてきてしまうタチの僕にとって結構選ぶのは鬼門だった。店員さんを召喚し、色々話を聞いた結果、自分でも畳めそうな折り畳み傘を購入することに決定。すっごい畳みやすい傘もあったのだが、晴天雨天兼用にするには心許ないという話だったので断念した。技術の進歩(と少しの出費)は、折り畳み傘折りたたみ芸人を駆逐するのだ。いい買い物をした。
出かけるとすぐに帰るのが惜しくなるのが僕の悪いところでもあるし、反対にいいところでもある。ちょっと電車で足を伸ばせば有数の繁華街に辿り着くので、文化資本の氾濫を感じながらGO。
日本で有数の人混みゾーンである。カメラとか構えてる人いるし。とはいえ買い物の続きを。ざっくばらんにこちらの事情を理解し色々教えてくれる店員さんに出会い、色々聴きながらアイテムを購入する。明確に自慢なのだが、僕は店員と会話するのがめちゃくちゃ得意な人間である。なんかノリがいいで。
どこもかしこも人が多い街である──少なくとも、僕が生まれた街よりも。どんくさい自信があるが、少しは人混みの歩き方を身体で理解したと思う。多分に漏れず「たくさんの中の1人になんてなりたくない」て考えていた時代もあったが、犯罪に巻き込まれたりなど、そういう迷惑をかけられなければ、昔よりもまあ、ネガティブなことを思わなくなったと思う。「すれ違うひとりひとりに人生が〜」みたいなことをぼんやり思いながらちょっと疲れた足を運ぶ。今の俺は最高にCoolなTシャツを見い出しし者だからな……メガドンキの日本のお土産フロアのTシャツコーナーは最高だから全人類行ってほしい。ああいうTシャツは本当に売ってるんだ!?となりテンション爆上がりになるので。
大体そんな感じだ。でも、満員電車だけはいつ何時も許さんからな。ぎゅうぎゅうすし詰めがなければ意外と人混みも楽しいもんだ。あ、でも密室空間爆音閉じ込めとかウィルス蔓延とかも大勘弁だな……条件を絞ると人混みの好き嫌いなんて身勝手なものだなぁと思うのである。