大学の先生の話①

ちかま
·

 もしこの書き散らしを読んで、あの先生かも……!?と思っても口には出さないでほしい。ご迷惑をおかけするわけにもいかないので。フェイクも入れます。

 僕の大学時代の話だ。大学生にありがちな就職やら進学やらの話がもれなく盛んで、大学でも必修科目として「お仕事をやっている卒業生や地元の人のお話を聞く会」「自己分析をしてみよう」みたいなのが定期的に開催されていた。で、そいつは専門学問に関係ないけど学術者たる教授陣が準備をしていたのである。僕の論文を見てくださった先生と、今日の話の先生がタッグを組んでいた気がする。いやあの、そんなことまでするのか……という気持ちしかない。正直研究には全く関係ないし面倒だし薄給だし。弊大学は地元の新聞に「研究費がないので研究器具を揃えられず、使い捨ての〇〇で代用しています」という悲壮感しかないエピソードが載っていたくらいカネがなかったらしい。多分今でもそう。理系学問ですらそうだったのに、いわんや文系をや。

 でも、少なくとも私の知る弊大学の先生は、若くて浅い若人のことを1人の人間として真摯に考くださっていたのだと思う。僕が在学中、侮られたことはなかったと思えるくらいには。とはいえ人間的にできた人のそういう気持ちを搾取するなよ……と大学時代が遠くなった今なら思う。

 おっと、今回の話はそちらが本題ではないので、話を元に戻そう。

 その先生は学問としては言語学系の先生だった。僕に専攻ではなかったので直接、ご専門の言語は学んでいないが、必修単位として文系特有の面白い授業をなさっていたので、履修していた。確か内容は現代美術だったかなぁ。書きながら思い出すと、あの世界一有名な便器はそこで知ったような気がする。

そこで学んだこと……というより今でも覚えていることはいくつかあって、

・ぱっと見何を表しているか分からない現代美術作品は、これはなんだろう?と観覧者に考えてもらうためにある、分からなくていい。

→デートで話が盛り上がるのは現代美術展

・絵を買おう

自分だけの絵はいいぞ、と自分が買った絵を見せてくれる

・個展や画廊は怖いところではないから積極的に入ってみよう

 みたいな、自分は芸術家ではないけれど、彼もまた芸術の徒であると自分自身で知っている人だった、と思う。実際にちゃんとした規模のイベントとか開催されていて、知り合いの海外芸術家さんを呼んで何かしらやっていたりしていたらしい。芸術家になりたかった人かどうかは、覚えていない。

 いい意味でヘンな人だったし、面白い人だった。大学の教授ってみんなそう(偏見)

 でだ。そこはかとなく胸中によぎるこれからへの不安に悩みつつ、目下は話を聞いたり聞いてなくてもレポートを書かなくちゃならない大学生諸君に、講義の最後先生はこんな話をしてくれた。

「自分はハイジャックにあったことがあります」

 今思うと、真面目な話を話半分にしか聞いておらずレポートのネタに困った人のために救済ネタだったのだろうか?おそらく彼の多分人生の鉄板ネタだろう。確実に衆目の耳目を奪う話だ。みんな驚いて耳を傾けていたと思う。こんなん誰だって気になるわ。

 それまでの人生で色々あって、一念発起新天地に赴くときの出来事だったそうだ。

「飛行機の窓の下から、行き先通りだと見られない土地が見えて、変だと思った」「死ぬかと思って遺書を書いた」とかなんとか。

 本当にすごい経験をなさっている。それしか言えない。詳細は記憶が薄くなってしまったが「自分はあのとき一回死んだのだと思います」と彼が言ったことは鮮烈に覚えている。強烈な死への近付きにより、彼は自分の人生を早々に余生に変えてしまったのだ。

 でもまあ、この話を僕らが聞けている理由は、彼がもちろん生還したからである。本当によかった。

 では雑に僕の所感とまとめ。「死ぬ気でやればできる」というのが精神的に危ないフレーズだというのはもう人口に膾炙している。いるよね?いてくれ。でも、似たような言葉でも、穏やかに「死んだと思えば大抵のことはまあなんとかなる」ということを口にできるほど僕は鮮烈な経験も何も持ち合わせていない。持ち合わせたくもない。でも、自分の人生はもう余生であると体感する気分がどうなのかと正直気になってはいる。

 彼があの時よりお給与が上がって、素晴らしい余生を過ごしているといいな、と思う。

@chiiikama11
なんか適当な文章で頭がいっぱいになったときに書き出す場所 まあまあ自我でデザイアブルにいきたい