挨拶が好きになれない

chikada
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どうも昔から挨拶というものが好きになれない。そうは言っても普通に会社員として働いているので、おはようございます、お疲れさまですなどと最低限の挨拶はするようにしている。私の考える「最低限」が世間一般の「最低限」を満たしていない可能性は否めない。

新年の挨拶のようなものも、いまだに言えていないし、書いてもいないなと思って、この文を書き始めた。いまだ言えていないのは、単に人付き合いが乏しいだけだという説もある。

儀礼的なものが全般的に苦手だ。冠婚葬祭もそうだし、朝礼とか、会議とかも。会議が儀礼的かどうかは会議によるが。厳かな、心理的安全性の低い会議は苦手だけど、フランクな、雑談ばかりの会議も嫌いだ。いずれも合目的的でない。

挨拶や各種の儀礼も、合理性に欠けている、だから嫌いだと言いたいわけではない。それらはコミュニケーションの導入であり、TPOの確認であり、モチベートである。すべてがすべて合理的ではないかもしれないが、多くは十分な合理性を持っている。挨拶は煩わしいけれど、挨拶無しにコミュニケーションを取っていくのはそれよりずっと大変なことだ。それは理解している。だけど理屈じゃないんだよな。どうも好きになれない。