あたまのなかのおしゃべりが忙しくなってくると、あーぐうたら度が足りてないなって気付く。
バランスを取る、なんていうのは気持ちの面で器用な人の得意領域なんじゃないかな。
ちゃんとしないことをちゃんとしにいくのがすきだ。既定路線を外す瞬間が愛おしい。
流れから逸れるとき、それはサボって美術館に行くときだったり、仲が深まってるひとと距離を置いてお互いが知らなくなっていくプロセスだったり。
エネルギーの流れが変わるときが、心を満たしてくれる。強すぎる好奇心、月の過剰性なのかな。
日々をご機嫌にすることは、実はちょっとしたひと工夫で変わるのかもしれない。
思い立ったので、モネ展へ行ってやる。
どうせ東京に来たのだ。ふだんから東京へ来たがらないなか、やってきた。自分の嬉しい予定を作らずしてどうする。
さいきん、わたしはわたしのことを、男性の目で眺めてみる。いちいち可愛くてたまらない。可愛いを見つけていくとは、こういうことなのかと腹落ちしている。
生きているだけで可愛いみたいな感じで。これは、見逃してきた愛を受け取り直してきたんだなともおもう。
また、いま向き合うテーマも葛藤は、特にない。ないことに喜びがある。今世がリタイアなのだと思うと、力んでdoすることもないし、いま感じているペインを焦って手放さなくてもいい。
生き急ぐことが減った。
何かを克服したり、何かを得ようとしなくて、良くないか?
自己投資がそもそも生業で、何を経験し、何を眺め、どんなエネルギーを転写して、わたしがわたしであることをますます愛していくのか。そして、体が死ぬとき、あーーこの世界はやっぱりすべてが愛でしかなかったわ、って心底安心しきって脱力する。
それで良いし、それが良いし、それはもう決まってるんだと直感した。
それならば、そこまでのプロセスは何をしても、何をしなくても、もういいんだよ。