昨日は友達と電話しながら、色んな話を聞き、色んな話をした。そのとき、「あ、いま自分は高次の自分と一致しているな」と気づいた。
それは、何も焦っていなくて、同時に安心感があったから。
万事うまくいくので特に何も考えずにおまかせしていれば良いこと、何が幸せで何が必要かすでにわたしは知っているということ、友達から聞いた話に対して必要なメッセージが(相変わらず)スルスル脳を介さずに出てくること、そんなところから分かった。
それは実家から200kmほど車を走らせている、車中での出来事だった。そのときに、「ああ私は両親にお世話をされて過ごしていたのだなあ。お世話をしあっているのか」みたいなことを感じた。
お世話をされているからこそ、人間生活を気にしなくて済んで、ゆだねて、高次の自分でいたんだろうなとおもう。
一歩引いてみると、両親にゆだねている自分が現れるなんで、思いもしていなかったなあ。なんてことに気づく。
わたしははたして、コーチングを続けていきたいのだろうか。変わらずそんな事を考えている。ここに、癒やされたがっているものがあるんだなあともおもう。
ちゃんとしようと自動最適化するところ、意識を向けすぎるところ、などが疲れてしまうのかもしれないなあと感じました。
のんびり、これも温めてみよう。どんな言葉や気付きが、わたしを一気に癒やしてくれるのか。