何かを手放すときの、あの剥がれ落ちていくような、もうそこに意識を向けなくていいんだという安堵感。
手放すタイミングはちゃんとあるので、扇動される必要はない。同時に、どこかでは何かに扇動されているとも思う。
何に促されたいか、何に後押しされたことにしたいか。その納得感が、自分にとって掴めていれば良いと思う。
大きな変容は、静かでありたい。必要な見守りはすでにそこにあり、過度なギャラリーは不要。
はて、さて。
すでにそこにあるという考えと、無欲さ、諦めのようなもの。わたしにとっては近しい位置に見えている。
痛い体験せずとも、涙が溢れるほどのよろこびやしあわせを手にして良い。
世の中は二項対立ではないことを、いつのまにか知った。
経済力も、包容力も、見た目の美しさもすべて兼ね備えるパートナーがじぶんにはいることを認めて良い。
好きなことをして、ほしいものがすべて手に入るだけの経済力を兼ね備えても良い。
あるものは、ある。
それを優しく認めて、そこにありたい。