2024.01.18 朝のジャーナリング/癒やしの涙、号泣

朝から、もんにょり。

久しぶりに海へ行った。千葉の人は想像するよりも、思ったほどディズニーに行かないというのと似ていて、思ったよりも海に行かなくなった。寒いから、面倒だから、などなど。

でも、行ってみると少し落ち着く。

言葉が出方を伺っている。継続して私の話を聴き続けてくれる支援者を欲しているような。カウンセリングを再開しようかとcotreeのページを開く。

明日、友達と夜電話する約束がある。それを今日にさせてもらおうか。いやでも、私の話を延々と聞き続けてほしいからcotreeがいいかな、ううm

と、左脳のおしゃべりをして、「委ねてみましょ」と、友達との約束を今日に変更してもらうことにした。迷っていたのは、友達と話すときに私が責任を無意識に取っているからなんだね、きっと。話しをきいてあげなきゃ、とかとか。自分でコマを進めず、ゆだね、順番を楽しむ。

その後、朝のセッションがリスケになったので、なんとなく、車を走らせてモーニングをしに行くことにした。

車があることは、可能性を広げてくれて嬉しい。あ、私が欲している安心感と自由の両立は、車に似ているかもしれない。守ってくれて、そして遠くまで連れて行ってくれる。そんな、男性性が自分の内側にいるのだと思った。

パン屋さんへ付き、ぼーっとする。よもぎあんバターパンがすごく美味しかった。

ふと、母からのLINEをひらく。

昨年出会った中国人の夫婦とのリレーションシップが家族同士で深まっているそうだが、その奥さんが父と母の絵を描いてくれたそうだ。

その絵を見て、私は突如、涙が止まらなくなった。文字通り、咽び泣いた。

嬉しい。両親がしあわせそうにみえて涙が止まらなくなるほど嬉しい。そう感じたみたい。

仲の良い両親、家族だったという思い出が欲しい。その願いは"ある"もので、自分でなんとか頑張ろう、というのをやめたら、こうして、外からの関わりを受け入れていくんだね。私の家族はみんな似通って、外からの介入を受け入れ、委ねたい、誰かになんとかしてほしかったのかもしれない。

わたしには、一次感情が、いつも体を通してやってくる。流れる涙にゆだねて、車を走らせて、自宅に戻った。

今夜、母に電話して、なんだか涙が止まらなくなったよと、伝えてみたくもなった。

きっと、母も父も、嬉しかったんじゃないだろうか。感情が倍増して、私の涙にも現れているような気がする。

深い癒やし。そして、伝えてみる、関わってみるっていう、ふんわり私が次のフェーズに進む感じ。

わたしも、それを想っての絵を描きたくなった。

@chikyu_yuei
Utsuroi by Chikyu-yueiになる前の、泡沫です。 miyukisuto.substack.com