昨日はディズニーシーで誕生日を祝った。ほんとうにしあわせな時間が流れていた。
わたしはロマンチックだ。王道のデートが好きなのだと、認めた。
元々分かっていたけれど、ちょっとクセのあるタイプでいたいと思っていたから、認めてはいなかったみたい。ベタベタの王道が好きって、なんか恥ずかしかった。凡用なかんじ、なんかいやだった。
でも、そもそもわたし自身がクセだらけなので、それでええやろうという気もしていって。凡用が、ロマンチック/ロマンチストという表現に置き換わったとき、「それだ〜!」って受け入れられた。スッキリ💜
なので、クリスマスと誕生日は特別な日だし、全力でおもてなされたい。それを、宇宙は叶えてくれたなあと思う。
いちにち過ごすなかで、色々なことが起きたのだけれど。
子供のように急に体調を崩し静かになり、急に体調不良が抜けて元気にはしゃぎだし。また急に体調を崩して、元気に、、みたいなことを繰り返した。
考えがコロコロ変わる自分に前々から気づいていながら、コロコロ変わるのは相手も困るよなとか、困るだろうから言わないでおこうとか、自動的に我慢をしてきたのだなあとおもう。
それが、もう立っていられないようなホワイトアウトが起きたり、割れるように頭痛がしたりと、どうやっても隠せないようなことが起きた。
そんなときに、何も言わずに黙って見守っててくれて、なんなら面白がられて写真撮られたのだけれど、それも含めてしあわせでありがたいなあと思いました。そういう関わりから、わたしは愛を感じるんだなあと気づいたのであります🐸
同時に、わたしの正位置で最高波動の状態は、無邪気で天真爛漫で純粋無垢なこどもだ。こどもなので、急に考えは変わるし、興味も移るし、思ったことをゴロゴロ言葉にするのだ。
それを目撃し続けてもらうこと、何か喋ってほしいわけでもなく、見守ってホールドさえしてくれてたらしあわせなのだ。
女の子の多くが、人生の途中でモテテクというもの学んできたんじゃないかなと思うのだけれど、そこで学んだテクは、自分の正位置とは真反対のものを得てきたんじゃないかと思う。というか、確信した。
わたしの場合、本来はベラベラ色んなことを喋ってケロッと忘れるタイプ。なのでモテテクから仕入れたのは、うんうんと傾聴してじっくり受け止める懐の大きい大人のお姉さんみたいなモテ像。口数が少なく、ミステリアスな、色気のあるお姉さんに憧れた。
そういう資質もあるから演じられるんだけれど、じつはさいきん、じっとしていられないことが増えてきた。マイワールド展開して自由に精神広げてご機嫌に、勝手にパフォーマーになっちゃっているのが、落ち着くの。
それは驚くようなサプライズでも、なんでもない。元々自分の心地よいスタイルが何であるかを知っているだけなのだ。
だからこそ、思えばクリスマスも、誕生日も、自由なわたしを目撃し続けてシャッターをきり続けてくれるイケメンがデートに付き合ってくれた。さち🙏
するんと自分の気持ちを伝えられるようにもなっているのも加速していて、「立ってられない」「あたまいたいもういやだあつらいいぃ」「思い残すことしかない〜」「帰るまえにアトラクション乗っていかない?」と、1番のじぶんの願いを叶えてあげることが増えていった。
体調悪くて全部食べきれなかったけれど、ディナーもスペシャルコースを選んだ。じぶんのなかの男性性に感謝した。やったー!とくべつだー!ありがとー!ってな感じで。
誕生日を迎えた朝、自分として生まれてきたことに感謝だなあとおもい、父と母に感謝した。
そうしたら、ディズニーのパーク内にいるときに母から電話があった。
普段なら出ないけれど、なんだかその日は出たくなった。
誕生日おめでとうと、急に母が「すごい大変だった」と言い出した。
なにがだろう?と聞くと、私を生むのがすごい痛くて痛くて大変だったのだそうだ。
あ、これは母への感謝を伝える優しいトスアップだ。タイミングがやってきたのだと思った。
普段は心の準備を必要としたり、恥ずかしかったりするけれども、その日はすんなりと「産んでくれてありがとう」と気づいたらするんと言葉が出ていたのだ。
これにはびっくりー。
母からは「こちらこそ」と言われました。
これまた、しあわせな体験。