今日はあたま、眉間から生え際のあたりが痛い。直感をひらくワークをしてみたら、少し流れたような気がする。
最近も色々ある。日々の出来事から受け取り、感じ、観察している。あえて語る、という意図をもち、書き連ねてみよう。
昨年末の個展頃からコントロールを手放し、委ねるモードに入っていたみたい。結果、個展では「私がそこにいる」ということ自体にインパクトがあることをからだ、こころ、たましいで受け取ったのだと思う。
年が明けると、見えない領域で自分のチャンネルが切り替わった。
なんでそんなことが分かるかといえば、自分が見えない領域から自動で受信し続ける情報、感覚の種類が変わったなというところからだ。
それからそれから、たまたま、という名の宇宙の導きで、ヒロインの旅をAmazonで発見し購入して読み始める。
「これはまさに私のことではないか〜〜なぜもっと早く教えてくれなかったんだ」
本文のなかで、女性の先人たちが↑と同じようなことを過去に何回も繰り返し発言していたので、その輪廻にわたしも見事に乗せられているなと感じた。SNSでこの本を読んでいるよ、と発信したら、周辺の素敵な女神たちが「わたしも〜」とリアクションしてくれた。
この時点で、女性たちの目覚めが大いなる流れから導かれているんだろうなと思った。それは、女性性にとっては勿論だけど、男性性、地球全体の癒やしにも直接的に関係しているな、と私は思った。
ヒロインの旅を読んだあたりからたしか、自分を器として宇宙の自動操縦にまかせてみようという実験心が湧いた。
そのタイミングで、受講中のGenerative Team Coachingの応用A「我と汝」のオフライン2Days集中講座が重なる。
この2日間では、自分の抵抗やコントロールを手放し、場に委ねることが最善な体験になるだろうと感じて、ほぼそれだけを意図した。
学ぶ内容に対して、これが興味ある!などは正直ほぼなくて、物語に触れているような感覚だと思う。
そして2日間を終えたとき、「わたしはいま学んでいること、そしてこの後も続く応用B/Cの内容も、はじめからすべて知っている/分かっていることにしているんだな」ということに気付いた。これは自己催眠、マニフェステーションとも言われるものだと思う。
同時に、これまでは一生懸命学ぶdoing的態度を取ることで、過ごす時間の費用対効果を最大化させようとしていたこと、そしてそれはコントロールしたい自分がいたこと、そしてそして、そんなことをしていたのは、そうすることでしか必要なものが得られない/満足できない、と思っていたからなのだろうな、といま感じている。
「ただ、器としてここにある」
極論、それだけを意図において過ごした2日間は、やはり最善の体験になった。
多くを語らずとも、私が憑依型/巫女/シャーマン気質だということに気付いてくれる人たちがいた。それはとても、癒やしなのだと体感した。憑依型でいいの?それ自体が価値なの?と、最近は驚くばかり。
そして、わたしは特定領域でランクの高い人たちから「アーティスト」としてエネルギーを貢がれている、その可能性を見出されていることにも気づいた。
プロセスワークではワールドワークという、社会課題についてみんなで話し合い、ときに特定の役割になりきって対立を生み出しburning woodしながら、和解していく、みたいな手法がある。ワールドワークの最中に、グラフィックレコーディングならぬ、アブストラクトレコーディング(抽象画を描く)というアイディアをBGの代表にもらった。
これこそが、自分のコントロール外からやってくる、それやりたい!楽で、楽しくて、それで豊かになれそう!という感覚だった。
その他にも、自分から誰かに話しかけに行くことは2daysを通して、ほとんどなかった。場の盛り上がりにもついていかなかった。ニュートラル/フラット/器である、ただいる、ということを意図していた。ただ、自分に起きていたことを認め、助けてもらうということも許した。
その態度を自分に許したことで、声をかけてもらうということの余白、許しが生まれた。
結果、色々な人が声をかけてくれた。それに対しても、ただそこにいた。私たちは、いるだけでお互いを癒やし合える。そんなことを信じていた。
それから、個別セッションを受けたり、友達とゆっくり話す機会があった。
そこでも勿論、たくさんの気付きに満ちていた。
セッションを受ける前までは、コンフォートゾーンでいたんだと気づいた。器として受け取り委ねていく、ということを深めてきて、それは馴染みつつあった。
あらたにいま、深めているのはこんな感じ。
(起こる)順番を楽しむ
自分でコマを進めすぎない
自分の内側にあるものだけを伝えてみる
自分の内側にあるものだけを伝えてみるのは、ちょうどGTCのテーマでもあった「自分のスタンスを取りきる」ということにも似ている。
憑依型としては、バウンダリーにも繋がる大切なテーマだなと感じる。
と、ここまで書いて意識が別に向いたのでおわり。