昨日、一昨日とほぼ家から動けずにいた。
ずっと家にいると、より家でどろどろ低迷していくみたい。人間としての生活を整えていくことに意識を向けてみよう。古いものを少しずつ放していくなど。
それから、昨日は近くに住む神様たちに拾われ、一緒に恵方巻を食べた。
これ欲しかったつながり、関係性だなあって思う。
お化粧せずに、リラックスしたファッションで、ふらりと歩いて集まり、精神性の高い対話を深める。そういうのがずっと欲しくて、それを受け取ることと決めた私にありがとう。そして、具象化してくれた創造主にありがとう。
その日はポケモンスリープを理由に半年以上も枕元で眠らせていたスマートフォンを別の部屋であるリビングで眠らせた。そうしたなら、起床前後のアタマのおしゃべりが静かになった。異様なだるさも、いまのところはない。
こうしてジャーナリングに向き合えているし、今日やることに意識がクリアに向かっているようにおもう。
おもえば、左上にスマートフォンを置いていたから、そのあいだずいぶん左脳のおしゃべりがにぎやかになってたんじゃないだろうか、といまとなって振り返る。
昨日日中はZaPASSの周年イベントがあったのだけれど、どうにも身体が動かず、オンラインで参加した。
とにかく行くのが面倒な気持ちが、現地の熱量を味わうことに勝てなかった。
ありたい姿である、リラックスしきって会うことが困難だった。現地が、というよりは、移動が大きな心的ハードルにはなっていそう。
その代わり、オンライン参加したことで、ジャーナリングしたあとの対話のグループはエグゼクティブコーチの岡村さんと根本さんと同室だった。
わたしからシェアをして、おふたりはそれぞれ3つずつ問いをくれた。そこに委ねていたら、泣いた。
昨年末ころからコーチングを受けたいなと思いつつ、グループセッションを受けているしな、、と金銭的にも自分を満たす許し的にもケチっていた。と思う。
取捨選択ではなく、全部どり。
それがやっぱりキーワードかなって。思います。
1番の望みを叶えるなら、それは選ばれしひとつじゃない。ほんとうは選びたいものすべて、なのだとおもった。
コーチングを受けようと決めて、過去セッションをお願いしていたコーチに連絡した。加えて、近頃のわたしは安心しきってすべて委ねたいと感じている。
だからこそ、何の構えもなくはじめから全面降伏出来るエグゼクティブコーチふたりとグループになり、気付けば私からシェアをして、そして20分の対話の時間はすべてわたしのセッションになっていたのだとおもう。
家族のこと、幼少期のこと、思い込みを外すこと。そんな体験。
これまでなら、わたしがこんなに良い思いをしていいのか、と委ねきれなかったかもしれないけれど、そういう展開を許した。そんな自分にもありがとう。
岡村さん、根本さんもありがとうございました。おふたりのあり方は、コーチとして素晴らしいbeingで、プロフェッショナルってこういうことなんだなと感覚的に味わった。
近頃、起床直後と寝る直前に、しあわせな妄想をすることにしている。
しあわせの、愛の、最高状態の波動をθ波状態でチューニングしておく。
そこで思うのは、わたしたちが叶わないと嘆くことは、わたしたちが受け取ることをOKしていないからだということ。
なにが止めているのかなとか、どういう状況でからだがストップしているかな(最速でからだが反応するから)とか、好奇心を向けている。
同時に、そういうのは後から分かるから、ひとまず最高状態の波動に戻してあげるのが大事だったりはする。
いろいろなおかげで、久しぶりに何をしたい/やりたいという気持ちがぶくぶく湧いてきているように思う。