納期当日。いつも余裕をもって執筆しているはずが、急ぎの修正対応が入った結果当日になってしまった。「余裕を持って納品してくれる人」と思われたいがために勤労感謝の日の夜に執筆を進めようと思ったが、疲れがたまっていたせいか、つい寝てしまった。勤労感謝とは何だったのか。
何とか無事に提出できたので、静かなインターネットに避難してきた。次の執筆はあと3営業日で納期が来るが、休日と休日の狭間だし、ちょっと休ませてほしい。
外注費を支払うため、銀行口座残高を見る。あまりの少なさに眩暈を起こしそうになった。子どもが3人いるのに、正直家庭を持つレベルじゃない。夫の口座残高はいくらだろうか。「学ぶために収入を減らそう」とか言っている口で、そこそこ太い実家に頼りたくなってしまった。働きたくないが金は欲しい。ヒモ根性である。
でも実は、父の死後は遺産を放棄することに決めているし、そのことは父とも同意を取っている。豊かな日本に生まれ、衣食住に困ることなく育ててもらいながら、今更「私は自分の力で生きています」なんて言うのは烏滸がましいかもしれないが、それでもなお、自分の力で生き(る割合を増やし)たい。
こう考える親の元で暮らす子どもは、犠牲者なのだろうか。
迫害されたクリスチャンは聖書を一字一句覚えることで、手元に聖書が無くても何とかなっているというエピソードを聞いたことがある。誰かから外側の資産を貰っても、それは本質ではない気がしてしまう。すぐ資産を減らしてしまう宝くじの高額当選者みたいなものだ。
一切皆苦、メメントモリ。満腹時の高級料理より、空腹時のクラッカー。足りないことはスパイスでもある。死なない範囲で、一緒に苦しもうじゃないか。