「違国日記」感想

Chicca
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実写映画化するという話を耳にして以来、いつか読みたいなあ読みたいなあと思い過ごして数か月。3巻まで無料公開していたため、そのまま最後まで読んでしまいました。真夜中の衝動で漫画を大人買いしても良い、だって大人だから。

物語には、それと出会うタイミングによって響き方の大小や風合いが変わると言いますが、そういう意味では早すぎず遅すぎず、まさに私の人生にとってちょうどよいタイミングで読むことができたなあと思いました。

両親を事故で失った15歳の少女・朝ちゃんが、叔母である少女小説作家・槇生さんとのひと時の共生生活の中で、両親の死を受容し、成長する物語……と簡素にまとめてしまうのが惜しいくらい、大きくもあり小さくもある、等身大のビューティフル・ジャーニーでした。

第一に、登場人物のひとりひとりに血肉が通っていて魅力的でした。朝ちゃんと槙生さんの交歓を中心に、人と人が触れ合うことによる温かさや摩擦、そして成長が描かれていました。けれどもそれらは恐らく、槙生さんが「ちゃんとした大人」で朝ちゃんを「ひとりの(かわいそうな)子供」として扱っていたならば生まれなかった温かみ、起きなかった摩擦、もたらされなかった成長だと思います。

作中を通して、とにかく槙生さんは「変わった人」でした。朝ちゃんのモノローグの中で狼や魔女、ちがう国の女王と喩えられているように、繊細で気難し屋で、難しい言葉を使う人見知り。孤独に愛されてしまった人。朝ちゃんの母親の実里さんとは折り合いが悪く、朝ちゃんを家に迎えるときにも面と向かって「あなたを愛せるかどうかはわからない」と言い切ってしまうほどに嘘が吐けない。ついでに生活力もない。けれど、得意の言葉でもって他者を煙に巻くことをしないのは、それが彼女なりの他者との向き合い方だからなのでしょう。そういった剝き出しの精神が多くの人を惹き付ける。わたしは槙生さんのように振る舞えない人間なので、そういった彼女の鋭さはカッコいいなあ、とも羨ましいなあ、とも思いました。

物語の中でもうひとつ印象的だったのが、死者の立ち位置でしょうか。朝ちゃんは母親から遺された日記を通じて、自分の名前に込められた意味や、両親からの愛情について、何度も考えていました。けれど日記に書かれた祈りの言葉はとても綺麗で、もとい綺麗なだけで、本当なのかウソなのかすらわからない。それを確かめる術は、もう世界のどこにもないのだから。

いつか「死とは、その人の心の中を窺い知る機会を永遠に喪失してしまうことである」という言葉を目にしたことがあります。この物語の中に描かれていたのはまさにその苦悶でした。死者の言葉を反芻する中で、意味を見出そうとする「遺された人」たちの物語。朝ちゃんだけではなく、槙生さんも姉の死によって、終生理解できなかった彼女の生き様に想いを馳せます。死はよく「終わり」と喩えられますが、他者の死は誰かにとっての「始まり」でもあるのでしょう。オールを漕ぐ手を暫し止め、思索という旅を経て、自らの人生という小舟を再び漕ぎ出だすための。

全編を通して、美しい感性が漲っていました。ヤマシタトモコさんの作品を読んだのは初めてなので、これを機に他の作品も読んでみたいと思います。

追記:どうやら本作の完結に寄せて「ユリイカ」で特集が組まれていたらしいです。早速取り寄せました。明日にでも読めるはず……楽しみ!

2024/2/17