バーチャルと存在論①

Chicca
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※「中の人」のようなワードが頻出します

かれこれ5~6年ほど、バーチャルYoutuber(以下:Vtuber)が好きです。

Youtubeの生配信も観ますし、アーカイブで動画を観ることも儘あります。ゲーム配信をすることが多い人も居れば、雑談をすることが多い人も居ます。彼ら/彼女らは一人で配信することもあれば、複数人でコラボ配信をすることもあります。犬も歩けばVtuberに当たる時代、配信の種類を列挙しだすとキリがありませんが、中でも特筆すべきは「3Dライブ」の存在だと思います。

Vtuberの3Dライブとは、普段Live2Dで動いている彼ら/彼女らが3Dモデルを用いて行うライブパフォーマンスのことです。数々のタレントを擁する事務所の場合、大規模なものはZepp何某と言った会場で行われることもあります。多くの場合、舞台裏で本人が喋り、モーションキャプチャー用のスーツを身に着けて動き、ファンは舞台上に投影された3Dモデルを観るという形式を取ります。リアルタイムで3Dを投影するため、一般的なライブ配信に比べて人手も機材も必要になります。ライブの内訳は歌だったりダンスだったりトークショーだったり、それこそ枚挙に暇がありませんが、世間のアイドルコンテンツにおけるライブと同じくらいでっかいフェスティバルであり、超絶ハレの日だと思っています。

先日、3次元アイドルが好きな友人に3Dライブの話をしたら「そんなの観て何が楽しいの?(要約)」と聞かれたことがありました。その時はスマートな答えを返せなかったのですが、自分が好きなものの正体について、今一度考える機会になりました。

友人の言う「そんなの」が「投影された3Dモデル」という意味か「アマチュアのパフォーマンス」と言う意味かは分かりかねますが、前者の場合、3Dモデルに相対するものとは、舞台裏に居るVtuberの「本体」つまり「中の人」のことを指すのでしょう。

舞台上の3Dモデルを指して、あの子は本物?偽物?と聞いたら、10人中8人は首を横に振り、10人中2人は首を傾げることでしょう。彼ら/彼女らは「本体」ではないからです。ではVtuberは偽物であり、偽物だから無価値かと言うと、自分はそうではないと思います。

Vtuberというコンテンツは、それが容易にまやかせるものだからこそ「見せたい自分を見せるVtuber」と「Vtuberが見せたい像を観るファン」との交歓に価値が生まれると思っているからです。(これはVtuberに限らず、アイドル全般、ひいては人間存在全般に私が抱いている『思想』でもあるのですが、今回はあえて割愛します)

3Dライブの話をしましょう。1~2時間のパフォーマンスを通じて、そこまでの道のりや本人の気持ちに想いを馳せる。それはリアルだろうとバーチャルだろうと、本物だろうと偽物だろうと変わらず価値があるもののように思います。それが、私が彼ら/彼女らを好きな理由のひとつなのでしょう。

いつか誰かにもう一度、「何が楽しいの?」と問いかけられた時は、上記をぎゅっと圧縮して答えようかなと思っています。

……表向きの回答として。