「機動戦士ガンダムSEED FREEDOM」感想

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公開:2024/3/28

ついに観ました。

マイファーストガンダムがSEED DESTINYだった謎経歴オタクとして、アニメシリーズのエグみに耐えつつ苦節×年、ついにリアルタイムでSEEDシリーズの続きを拝むことができるなんて!と感激しました。特典のIDカード(?)もシンでした。良く言えば私物、悪く言えばガッツリ盗品を手に入れることができました。どうにかいい感じに飾りたいですね。

公開当日に観た友人からは「とにかく戦闘シーンがかっこいい」「絶対劇場で観ろ」「ドルビーアトモスなら尚良し」「DESTINY好きなら絶対観た方が良い」との情報を続々共有いただいたので、やや恐々としつつ席に着き……そこには元気に駆け回るワンちゃんの姿が!観にきて良かった~!

シリーズを通して「戦争」の罪科にフォーカスが当てられていることもあり、キノコ雲や核弾頭、一瞬で燃えあがる民衆等、容赦ない描写に目を眇めてしまう部分もありましたが、最後は「良かったね……」の一点に集約しました。

シン・アスカ、ずっと良かったですね。アニメシリーズでは失われてしまっていた愛嬌溢れる面が前面に押し出されていましたが、月夜に眼差しを翳らせる面も紛れもない彼な訳で。どちらも共存する形で、シン・アスカという一人のティーンエイジャーの多面性が示されていたのが良かったです。

あと、真顔のアスラン・ザラが登場した瞬間に、両隣に座っている人が同時に息を詰まらせていたのにもじわじわ来ました。多分私もこみあげる何かを堪え切れていなかったと思います。まさに劇場の醍醐味ですね。

そして今作はとにかく大人達(ミレニアム・AAクルー)が頼もしい。MSパイロットが軒並み子どもという構造は、ともすれば某エヴァになりかねないアンバランスさを孕んでいますが、大人がしっかり役割・責任を果たしている姿が非常に魅力的でした。マリューさんやムウおじはもちろん、やや癖の強い大人達が有能っぷりを発揮しているさま(別名:シン・ウルトラマン展開)が三度の飯より好きなので、コノエさんやハインラインさんにまんまと惹かれました。操舵席をワイプで見たい。

今作で一番印象的だったのは、やはり作中世界で忌みMSとなっていたデスティニーに再び搭乗することになるシーンでしょうか。「デスティニーなら負けない!」と目を輝かせているシンに、うっかりこちらの目頭が熱くなりました。蝶のように舞い、蜂のように対艦刀をブッ刺すMS捌きは、今や彼が自分の意思で「運命」を決め、それを見事に乗りこなしている証左なのだとひしひしと感じました。

こう考えると、キラが「自由」、アスランが「正義」、シンが「運命」の名を冠したMSに搭乗しているという事実に改めて感じ入るものがありますね。特別な力によって皮肉にも不自由になってしまったキラ、他者から見ると独り善がりとも思える正義にさえ走ることができてしまうアスラン、他者が誂えた運命に乗ることになってしまったシン。本作はMS交換も多かったので(大感謝)、アスランがストライクフリーダム弐式に乗ったり、シンが芋ジャ……もといイモータルジャスティスに乗ったりすることで、各人とMSとの(技術的/概念的)相性が見え隠れするのが面白かったですね。キラがデスティニーに乗ったら果たしてどうなっていたのか……たった今、概念的な相性の話を引っ張り出したが故に少し背筋が寒くなりました。

アスラン・ザラ、挙動が不審すぎるだの面白ぇ男だのと何かとイジられがちですが、彼の中で一本通った正義があるところと、例え独りでもその正義を遂行できてしまう(=人を正しさだけで下せてしまう)強さがあるところ、非常に恐ろしい男だなぁと思います。正しさが人を救わない時も──ある!

キラとラクスのラストシーンは小説にて情報が補完されたと聞きました。某移動王国の民としては「♪愛という名の咎」を思い出しました。作中で度々繰り返されていた問答のアンサーとして、今作はキラ・ヤマトとラクス・クラインが本当の意味で「自由」になるための物語だったのでしょう。その結果、例え運命に背くことになろうとも。

ただ、いくらあの世界の人間が愚かとは言え「手に負えなくなり、全てを放り投げる」ような構図になってしまっているという点で、二人の選択は百点満点のファイナルアンサーではないのでしょう。何せ自由には代償が付き物。彼らにはきっといつかツケを払う時が来るのかもしれませんが、今は気が済むまで波打ち際で追いかけっこしていてほしいですね。浮かれ散らかしたアロハな通信を繋いでほしいし、コンパスが戦場でのっぴきならなくなった時には自由の使者・フリーダム仮面として颯爽と現れてほしい。二人を包むたそがれの中、世界は輝いて――(スーパーロマンティクスタイム)

キラとラクス、オルフェとイングリッドの対比が代表的ですが、特に後半は怒涛のゴリ押し展開に若干慄きました。愛に辟易している人間なので、こんな愛にドリブンしていいのか……?まあでもガンダム世界だし……石破ラブラブ天驚拳が最強なんだろう……ヌーン……というのが正直な感想です。ただ理屈を抜きに「愛する人を争いから遠ざけたい」という感情は究極の愛であると同時に、究極のエゴだと思います。世界のために生き、世界のために戦っていた二人が、最後はあらゆるしがらみを脱ぎ捨ててお互いを選ぶ。それが独善的で露悪的と呼ばれてしまうあの世界だからこそ、好きと思える選択でした。

アクセルベタ踏みしすぎだよ~!とは言いましたが、アスランとカガリについては、カガリ様の成長っぷりが凄まじく、スクリーンの前のオタク(一人称)もうっかり惚れちゃいました。お互いを信頼しているからこその揺るぎない愛情。アスランが作中で最強の飛び道具であり続けることができるのは、一人になっても独りにはならないという自信があるからなんでしょうね。

また、シンとルナマリアの関係については愛だ恋だと思いつつも、SEED DESTINYの際にはレイも交え、沈みゆく船で互いにしがみ付くような痛ましさを感じていたので、今回ふたりの間に結ばれている感情について、ルナマリア・爆イケ・ホークさんが「愛しているわよ!悪い!?」と堂々宣言していたのがカッコよかったです。シンルナの未来は明るい。

冒頭の履修経緯から、どうしてもシン側の目線に立ってしまいがちなので、ラストシーンは二人の選択に納得しつつも、折角頼れる仲間ができたのに……やはり彼はまた置いて行かれる側になってしまうのか……と少し切ない気持ちになりました。

一方で、隊長の不在によってシンはアスランとの連携が強制的に求められることになるのではないでしょうか。想像するだにメチャクチャ賑やか……毎回セットが爆発するバディ洋画ものみたいになりそうですね。

もしまた続編が作られるのであれば、ストライクフリーダム強奪事件やキラ以外を主人公に据えたスピンオフは勿論、未来軸の話も見てみたいですね。次回作があるなら主人公はキララクの子どもではという巷談をどこかで拝見しましたが、託されてきた者たちが託す者たちになる展開は胸が高まります。守るべき子どもが生まれると「身の回りの平和」が「自分が居なくなった後、この子達が生きる時代」にまで一気に拡大されるので、キラがもう一度腹を括るには必須の存在なのかもしれません。スーパーコーディネイターとアコードの子。キラとラクスが遺伝子を残したがるかは悩みどころではありますが……戦災孤児を引き取るとかもありますからね。

ただ、世代間継承というテーマはとても取扱が難しく、一歩間違えてしまうと祈りではなく呪いを継承することになってしまうので、託す側と託される側がそれぞれどのように悩み、どのような答えを出すのか、とても気になるテーマです。個人的に好きな「継承」の形は某モンスターの剣盾ですが、こと戦争となると重みが段違いですからね……(水星の方角を見つめながら)

キララクの子どもともあれば、国築けるレベルの逸材間違いなしですが、きっとあの世界で我が子を戦争に駆り出すのはパパが黙っちゃいないと思うので、その時には親子喧嘩になりそうですね。MS戦になったら5秒で理解らされてしまうので、何とかこう……某ホテルの「♪More than Anything」みたいな説得交りな感じで……これは完全に“画“の理想ですが、息子/娘の機体を抱えて金色の水面を滑るマイティストライクフリーダムが観てみたいという願望があります。余談ですが、圧縮言語が応酬しまくるガンダム世界に真に必要なのは、ミュージカル解決法な気がしてなりません。某マクロスとは異なり、歌で争いが止むものかよ!と切り返されそうですが……妄想はこの辺りで止めておきます。

SEEDに限らず、近年のリバイバルものは、役割から解放されたり物語を貫いていた呪いを解いたり、作り手の贖罪やメッセージが多分に含まれていたりと、何かと成仏じみたカタルシスを齎されることが多いと感じています。それはそれで物語が語り直された大きな意味だと思う一方で、成仏したくない地縛霊オタクとしては、リバイバルも所詮ひとつの区切りに過ぎないのだと思っています。

されど世界は回り、されど物語は続く。

この後も続くであろう彼ら/彼女らの人生が楽しみで仕方がありません。

(2024/3/28)