”成功したオタク”を見た

チル
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インターネットの色んな人の顔が思い浮かぶドキュメンタリーだった。

まず韓国のファンダムでの圧倒的な性犯罪に対してのNOというスタンスにちょっと日本との差を感じざるを得なかった。

背景事情は詳しくないし、昔からなのか最近の傾向なのか分からないけど。

いい事だと思う。

”推しが性犯罪者になったら”

正直に言うと自分は現役の3次元男性アイドルを推したことがないので、あまり自分ごととして捉えることができなかった。

そして、普段から好むものが好きなものに対して加害者寄りかつ後ろめたい楽しみ方をしている自分と、日の元で堂々と楽しみ、ファンとして突然の裏切り行為を受けて悲しみ怒り狼狽える彼女達とはあまりにも悩みの質も立場も違いすぎる。

が、推しや推しコンテンツの制作が性犯罪に限らず反社会的行為に手を染めたらと考えれば…まあ。

明確な答えがあるテーマではないし、本当に人それぞれだよな言うところはインタビューを見て改めて強く感じたところ。

よく考えればそれは当然な事で、それにハマったタイミングや本人の倫理観、周りの環境によっても考えが変わる事もある。

自分は少し前までオタクであることは別に自分のアイデンティティではないと思っていたんだけど、最近そうではないのかもしれないと感じている。

何かに狂ったように夢中になった経験のあるオタクなら、“〇〇が好き”であるという状態が今の自分を構成しているものの一部であるという感覚は分かるのではないだろうか。

また、“〇〇が好きな自分が好きなだけ”と揶揄されたり、そう思われることを恐れる人は多いと思うが、そんな自分が好きか嫌いかという話以前に、”それが好き”という感情自体が自分の心の一部でありアイデンティティになることはごく自然なことであると思う。

だから自分の好きなものが批判されたりすると大なり小なり怒ったり傷ついたり悲しくなったりするんだね。

だからこそ学生の頃からずっと大好きでファンであり続けたり、辛い時に救われた経験があったり、自分の人生の一部としてあり続けたものがある日突然反社会的な存在になったとして、それはもう簡単に割り切れる事じゃないよね。

それでもって恐ろしいことに、自分はチキンを買うより推しのアルバムを買ってしまう側の資質を持つ人間という自覚はあるので、中々ヒヤリとした。

推しグッズの葬式、いいな。

私も自ジャンルがダメになったらやりたい。

でもきっとならないし、なんなら私の葬式で棺桶に一緒に入れられて燃やされるオチかも。

本当はジャンルが好きな人の手に渡って大切に飾ったり保管したりして欲しいな。叶うなら。