ブラジル滞在記

呼吸
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落ち込みすぎて体が無限に床に沈み込み、どれだけ経ったろう、いよいよこの身はブラジルまで到達しようとしていた。元気がなさすぎてもうあまり嫌とかも思わない。ただひたすら地面に対して垂直に沈み続ける自分の心と体を見ていた。それを見かねた友達がツイッターを辞めることを提案してくれた。すぐに了解した。断る理由がなかった。

ツイッターをやめて心に少しの平穏が訪れたので最近の混乱について振り返っていた。混乱が激化するにつれて自分は「トロンが好きな自分のことが好きなだけではないか」という考えに縛られてノイローゼになっていたが、昨晩インスタグラムの過去3年間分の投稿を眺めていて「どうやらそうでもないらしい」ということがわかった。自分でしたことに違いないが、気迫と熱量が恐ろしかった。誰に見せるわけでもなく積み上がる投稿の楼閣。そこには恋というか執着を超えて最早呪いのように彼との思い出の数々が刻まれていた。しかし平和であった。

そんな平和は突然終わりを告げる。

トロン界隈に突如彗星の如く現れた凄腕の絵師により自分の存在が脅かされたと感知したのだろう、恐れと焦りと怒りが一斉に傘を開いた。良くも悪くもこのキャラクターは私の人生に深く根ざしすぎた、いつの間にか自分のアイデンティティになっていた。その根は無意識ながらも神経にまで届いていた。故に外敵の侵略に対してとても敏感だった。当然その絵師は外敵などではない。私を侵略することもない。まず認知もされていない。そして多くの人にとって彼女は干からびた界隈を潤す唯一の救世主なのだ。毎日のように投稿される一切の非の打ち所なき神絵たち、落描きすらも神々しい、だがその全てが私にとっては単なる精神攻撃でしかなかった。爆撃と空襲の日々、焼け野原と化す心、怒りと憎しみと焦りに全身が悲鳴を上げる、限界だ。

揺さぶられる3年の積み重ね。積み重ねといってもカス。大きなカスの山が勝手に大げさに揺れているだけなのだが、なにせ神経とつながっているため、痛くて仕方がない。耐え難い苦痛にさらされた精神と肉体は容易くボロボロになっていった。

これがもし資格の勉強だったり真面目に絵と向き合う時間だったらこの上なく有意義だったろう。しかし私が得たのは西洋食器と英国の歴史と近代建築にまつわる知識くらいで、しかも知識とはいえ僅かな切れ端のようなものばかりで、それらがなにかの役に立つとは到底思えない。過去を悔いても仕方ないが流石に残念すぎる。3年間もずっと一つのことで我を失えていたのは凄いことだとも思う、当然今となっては悪い意味でだが。昨今の出来事はそんな私の狂った頭を冷やす良い機会な気もしてきた。このままだと人を刺しかねない。

過剰防衛。この恐れや怒りにはなにか本能的なものを感じる。横切る全ての犬に対して牙を剥き吠え散らかす頭の悪い小型犬のような自分が恥ずかしい。自分には自分のできることしかできない。私はその当たり前のルールを無視して一人で勝手に限界を迎えて自滅してしまった。前に進むためには一歩ずつ歩くことしかできない、近道はない、ズルは後々精算される、だけど転がり落ちるときのスピードはジェット機をも凌駕する勢いだ。頼むから意識を取り戻してくれ、ずっと好きでいてもいいから。そんな極端な道を選ばなくてもいいから。誰もあなたを攻撃するつもりなんてないから。

友達がギリギリのところで手を差し伸べてくれたため、ブラジル滞在記は書かずに済みそうです。いつも本当にありがとう、早く元気になって沢山お返しできるように、それだけがモチベーションで今頑張れてるみたいなところがかなりある。

https://youtu.be/TfPQDNpbNPw?si=Zp4Ab5hDtIcG84aW

@chinchan
世界で一番愛に近い呪詛