20代の頃勤めていた会社で仲良くなった後輩がいた。一歳下の男性。
私がいた部署は「IT技術系ではあるがプログラムは書かない部署」で、彼は本当は開発がやりたかったみたいだが、すこし実力が足りなくてうちの部署に来たらしい。いちおう私は先輩ということになっていて、仕事を教えてあげたり、後輩が作ったものをレビューしたりする立場にあった。あったが、私は非常にポンコツで頼りなく、彼は開発知識があって勉強熱心で、立場は早々に逆転した。先輩後輩という関係こそ変わっていなかったが後輩は私のことを舐め切っていた。いつもニヤニヤしながら私の席に来て、「こここうしたほうがいいんじゃないですか? プログラムの処理としてはこうなっているから……」と丁寧に指摘をくれた。私は素直に「すげ〜! 知らんかった〜〜!!」と感心し、後輩はニヤニヤしながら席に戻った。
ただ上手く言えないんだが、後輩の指摘はリソースを無視したところがあった。細かいところにこだわりすぎというのか。限られた人手で処理しないといけない仕事が多い中で、後輩の指摘は私にとっては有益で面白いものだったが、上司にはあまり容れられることがなかった。後輩の仕事ぶりは傍目に見るとあまり積極的とは言えなくて、いろんな人の席に行ってはニヤニヤ長話をしてる人だと思われていて、まあそれも100%嘘ではないけど私は後輩の長話が好きだった。仕事は止まりまくったが。スキルを組織に活かすのが少し苦手だったということかもしれない。
後輩は主にインターネットでいろんな知識を仕入れて私に教えてくれた。私が全部に「すげ〜〜〜〜〜」と言うから教え甲斐があったのかもしれない。なんであれ私はおもろい話が好きだ。インプットとアウトプットをたくさんする人が好きだ。知識の中身は偏っていた。陰謀論、仮想通貨、文化人類学、万年筆、ワイン、そしてインド。
インド。彼は20代半ばで突然インドに行きたいと言い、私を誘った。特に恋人でもなんでもない私を。めちゃくちゃおもろいと思ったが、金もないしいろいろ怖くて日和ってしまい、断った。結局同じ会社にいた別の人(男性)と2人で行ったようだった。変な石鹸とかお茶とかお土産をたくさんくれた。
それ以来彼はインドにかぶれ、あるとき西葛西のインド家庭料理の店に連れて行ってくれた。これを書くにあたって一生懸命思い出して調べたが、たぶんこの店だと思う。
↑今は葛西に移転している
後輩はそれまでもよく私を飯に誘った。飲みにも誘った。私はホイホイとよく行った。二郎も彼が「食べきれなかったら任せてください」と言うから連れて行ってもらった。食べきれなかった。このときのくやしさをずっと抱えて生きている。
ところで関係性はずっと先輩と後輩だった。一度だけ「付き合いませんか」と言われたことがある。私はおもろい人とはとりあえず付き合うことにして20代を楽しく生きていたが、そのときは彼女がいたから丁重にお断りした。その後はまったくそのようなアプローチはなく、性的な期待を匂わされることもなく、ひたすら飯を食い酒を飲みおもろい話をしてくれた。
西葛西のインド料理に戻る。当時のお店は団地の中にあった。だだっ広い団地の中を、後輩がズンズン進んでいくからビビりながらついていった。店の内装も、よくあるオレンジっぽいギラギラした、インドです!! みたいなものはなくて、公民館かな? というシンプルさだった。テーブルや椅子も学校の長机とパイプ椅子みたいだった。店内で日本語を話していたのは私と後輩だけだった。
料理もよくあるバターチキンカレー! デカいナンがドーン! マンゴーラッシーを添えて! みたいなインドカレーとは一線を画していて、スープみたいな優しい、でもなんか独特な味のカレーと、ナンより軽くてパリパリ食べやすい薄い何かがついていた。
「ここが一番、本場で食べたインド料理に近いんですよ」と後輩は言った。彼は私にこれを食べさせたかったんだろうと思い、素直にありがたく思った。
帰りも団地の中をズンズン横切った。妙に静かな団地だった。ずっとスパイスの匂いがしていて、たまにすれ違うどこの国の人かわからない老人がじーっとこちらを見ていた。
私はその後少ししてなんやかやあり、転職した。「こんな会社早く辞めたほうがいいです」と後輩は笑った。
しばらくして後輩から「助けて」とメッセージが届いた。驚いてすぐに返信した。大丈夫か、どういう状況なのか、どこかに連絡したほうがいいか。数日気を揉んだが、「なんでもなかったです」と返信が来た。少し文章がおかしかった。いつも滔々と流れるような長文で語る彼の文が、何か壊れていた。
近しかった何人かの人に連絡を取った。彼は統合失調症になって休職しているということだった。時折陰謀論に関するメッセージが来た。自分がおかしなことを言っているのもわかっている様子だった。でも盗聴はされているのだということだ。そのうち入院したり退院したり実家で療養したりという話は聞いたが、いつしか連絡が取れなくなった。ちょうどコロナ禍のあたりか。私もなかなかバタバタしていたから、丁寧に彼の様子を追うことができないまま、彼はいなくなってしまった。
いや、いなくなったというのは正確ではない。彼に何度か送ったメッセージが返ってこなかったというだけの話だ。全然元気で働いたり結婚したり酒を飲んだりインドに行ったりしている可能性はものすごくある。単に私に関心がなくなっただけかもしれない。それならそれでいいが、私との関係が切れた以上、私の視点では彼はいなくなった。
かなり変な人だった。でも悪くない人だった。彼のことを、同じようにかなり変で悪くない、あの西葛西のインド料理店とともに、たまに思い出す。