2024年3月17日

ちとせとか
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公開:2024/3/18

夢日記

昨晩は彼女にくっついたら、こんなにも労働も人生も嫌なのにどうして仕事をしなくてはならないのかと、自分の中の糸が切れてしまって、小一時間ベッドで泣いた。そんな夜の夢もあんまり良いものではなかったという後味だけが残っていた。もう無理だなんにもできないや。

今日のこと

■賃金のことを考えなくていいなら本の虫になりたかった。

前述の通り泣きじゃくってしまったので、まぶたも頭も重かったし、まぶたと鼻頭はかさついていた。特別展のオーディオコメンタリーの話題から、もう3年くらい特別展などに行っていないと気付いた。多分最後の特別展は鳥獣戯画のすべてだと思う。常設の岡山オリエント博物館は先日行ったが。まぶたが少しマシになるのを待って、予約していた図書の受け取りに行った。OPACは使いやすいが、そこまで詩歌の本はない。司書さんが並べたカウンター前の棚に、ジェンダー・セクシャルマイノリティ関連の図書が並んでいた。日本十進分類法によると、これらの本は367類になるようだった。開架の367.9には「躍動するゲイ・ムーブメント」や「あいつゲイだって」、「LGBTを読みとく」などが並んでいたが、そこの棚の見出しには「性問題」とあった。日本十進分類法の細かな内容は覚えていないので調べると、367は「家族問題. 男性・女性問題. 老人問題」で、その下位である367.9は「性の問題、性教育」。その中にセクハラや同性愛、アイデンティティ、性教育が入るという分類になっている。しかしこの配架の「性問題」というワードは地味に凹む。わたしたちって問題なの? その壁にあたったときに生じるクライシスや社会が問題なのであって、わたしたちではなくないか、と思う。っていうか配架にあるのLとGばかりだし、ほかにもあんだろうがよ。予約したねむらない樹のほかにいくつか短歌の本とオンコロジーや医療関連のものなどを借りた。仕事が嫌なのに、どうして仕事の辺縁の本を手に取ってしまうのか。

■無印良品とその他不買やらについて

巷は無印良品週間だそうで、おすすめ欄だとか、「買った」フィードなどで購入品やらおすすめのものを見かける。それを見かける度に、薄暗い気持ちになる。無印良品は新疆ウイグル自治区の綿を使用することを継続し、社長も会見で質問に応じなかった。昨年は某差別主義者を招き入れ、それに対するユーザーからの質問にはまともに回答していない。そんな企業なのに無邪気にはしゃいでいる姿を見ると、鬱屈とした気持ちに苛まれる。もちろんSNSなどで見かける姿だけが全てではなく、もしかしたら別途意見メールを送っているかもしれないというのも、理解している。それでも、購買するというのは基本的にそれを支援することになる仕組みだ。カレーは美味しいし、OEMのにしき食品(ニシキヤキッチン)の製品を買うよりは安価だ。衣類も着心地はいいし、靴下はカラバリも多く、履き心地がいい。それでも、それを支持するのは正しくない。不買は、かけられるコストがある人間でないと継続は難しい。

ちなみにこれについて調べ直しているときに、病院時代からお世話になっていたサラヤの社長は維新の会を支援する団体の会長をしていると知ったので、ストックを使い切ったら別のものにしていこうと決めた。サントリーやキリンの飲み物を選ばないようになった。ミツカンはあのお家騒動もあり、家にあるものは大半切り替えたが、市場に多く出回っているお酢はミツカンのものが大半であったし、納豆もよく食べていたものがミツカンのものだったので、選ぶのが大変なカテゴリではあった。上述の無印良品が差別主義者を起用した件への対応で、「クレーマーフェミの意見を毅然と突っぱねる正しい反応www」という論旨のtogetterまとめがあった。そのアホくさい冷笑仕草、反吐が出る。不買運動でパブサすると、「不買運動とかしてるやつ、生きにくそうww」だとかいろいろなものを見る。切り替えは手間だし、コストかかるし、ある程度余裕がないと継続できないのは確かだ。物を選ぶのに制限があるという見方もできるだろう。それでも関心を持って、正しい行いをしている。無関心で無知蒙昧なままでいるより、ずっといい。

■りぶはあとの抱き枕を緊急処方で

いぬを撫でたいとか思いながら彷徨っていたら出会ってしまった彼ら。りぶはあとのプレミアムねむねむは把握していたけど、この猫肯定感シリーズのでっぷりむっちりちょっとふてぶてしくしてでも愛らしい感じ、めちゃくちゃたまらない。妹にも話をしまくっていたら買ってくれた。ありがたい。だっこするのが楽しみ。