夢日記
やはり悪夢を見ない日はほとんどない。大抵は学校や職場で追われたり、嫌な思いをしたりする。数日前、ふわふわの子犬を迎える夢を含む、いくつかの夢をみた。子犬を迎える以外の夢は悪夢だったが、ちいさなふわふわはふわふわ歩き回り、私よりも彼女に懐いてくっついていた。
今日のこと
妹に家に寄ってもらって、みかんや株分けする万年筆インクなどを渡しつつ、なんやかんや話をした。別途彼女から最寄り周辺の桜がきれいだとしらせを受けたので、妹を駅まで送りながら様子を見に行くことにした。
沿線の桜は満開で、平素は人もまばらな道を多くの人がカメラやスマホを手にして歩いていた。正直あまり期待していなかったのだが、アメリカ旅行に備えて買ったオズモポケットを持ってこなかったのを後悔した。
武田砂鉄さんの「マチズモを削り取れ」を読了した。もはや1ページめくるごとに男性優位社会への怒りがほとばしるのだが、本書を武田さんとともに作り上げている集英社の岸優希編集の怒りと視点、そして文章が本当にたまらなくて、ご本人の思考をどこか一般社会でも喫することができるものはないかととりあえず本名のTwitterアカウントを探したが見つからなかった。SNS、あったらぜひフォローして覗いたいその思考の片鱗。
本書は2021年に刊行されたものだが、そこから一歩進むどころか何歩後退したのかわからない状況にはもうどうしたらいいかわからない。読書中の心情の発露が「男性優位社会をすぐにどうにかするのは難しいから、とりあえず男を消そう」になるくらいにはだめ。
平塚らいてうについては青鞜社、女性参政権というワードでしか認識していなかったが、下記の文章の引用があり、途轍もなくバイブスがあがった。最高。年下のパートナーと生活をともにしていた平塚らいてうが100年前にこれを発表していたことに痺れる。
結婚が女にとって極めて不利な権利義務の規定である以上なおさらです。それのみか今日の社会に行われている因習道徳は夫の親を自分の親として、不自然な義務や犠牲を当前のこととして強いるなど、いろんな不条理な束縛を加えるような不都合なことも沢山あるのですから、私は自ら好んでそんな境地に身を置くようなことはいたしたくありません。
「独立するについて両親に」 平塚らいてう
1914年 「青鞜」にて発表
その一方、現実に目を向けると文字通り「めのまえがまっくらになった!」と言わんばかり。「離婚しづらい社会の方が健全」という発言をした議員や共同親権などもあり、100年前からの手紙のなんと鋭く眩しいことか。
東京医科大学の女性受験者に対する差別。あれから女性の合格率が大いに変化したと言うデータをみた。不正発覚当時にせよ、女性医師(ここに女性という但し書きをつけなければならないのも本当は嫌だ)の割合を増やせという話題が出るときにせよ、情報収集用アカで医クラからの賛意をみかけた記憶がない。口々に、「女は育児だなんだって残業しないし当直少ないし、医療を維持するためには必要なことなんだ」だとか、「自分たちのように働くことを女も望んでいない」と。今だったら違うと、声を大にして言えるし、そもそもその考え方の土壌、論拠のグロテスクさといったらない。医療は目茶苦茶ホモソーシャルでマッチョで、ミソジニーを内包した世界だ。同時に、当時は考えが甘く(まあそうかも)と思っていた自分もいた。なんて愚かなんだ。
総括として世界に怒りを燃やしている人におすすめです「マチズモを削り取れ」。(基本的には「父ではありませんが」と同様にぐるぐる回っているだけではあるのですが……)
先日読んだ医学書院の「臨床現場のもやもやを解きほぐす緩和ケア×生命倫理×社会学/森田達也、田代志門」、事例は臨床のエッセンスも盛り込みながら、論じやすいようにフックがありつつという感じがした。
事例の中で、どうして医療従事者は意思決定の場において家族の意見も重視するのかという点において「福祉レジーム」から考える家族中心の意思決定というものが示された。
福祉レジーム→市場の荒波に立ち向かうために、人びとが「誰と」支え合い、連帯するか―国家か、家族などの中間集団か、個人の自助努力か―の違いを示したものである。
日本は保守主義的で家族主義的
このような場合で起きる減少について→共働き化が進んだ社会においても、公的なサポートが不十分なまま家族にケアの負担を背負わせ続ける、ということに帰結する。その結果、主に配偶者や子供のいる女性に(日中の仕事に加えて)介護や子育て、家事の負担が重くのしかかる。
前提として日本社会が家族による自助を前提とした構造になっており、患者の意思決定の場においてもケアを担う人物の発言力が増し、患者の選択としてもcare giverに迷惑とならない選択をとりやすい。医療サイドの環境としても、care giverの存在を重視しがちになるという。それって、意思決定なのか?自分が安楽死させてほしい側だったので、なんで安楽死できないのかなと思っていたんだけど、意思決定の場がこのような構造になっている以上、安楽死制度が悪い方向にしか作用しないことが今回身に沁みてわかってぞっとした。
短歌
あなたへの言祝ぎだけで生きたかったたとえばある雨傘として
ありはしない天国なんてさ ささめいている春ですか夢ですか
いつかいなくなるならさよならの輪郭だけでもおしえてぜったい
ねえ決めたわたしはあの桜の木の下ね あとは待つだけ望月
お皿洗ってご飯つくってそんなんいいからはやくだっこしろよ
今回の短歌は割とどれも好き。