自宅から徒歩五分の距離に公共図書館があることで、わたしの性格や考え方が決定づけられたといっても過言ではない。緑豊かな地元には娯楽がなく、遊びの手段は限られていた。親の教育方針でゲームや漫画は禁止されていたことから、必然的に本を読むことで暇を潰していた。
地元の図書館は児童書も一般書も充実しており、成長過程に合わせて読みたい本を読みたいだけ選ぶことができた。小学生の頃はこまったさんやわかったさんやダレン・シャン、中学生になるとあさのあつこや石田衣良や電撃文庫に夢中になり、高校生では炎の蜃気楼シリーズ読破を目指してせっせと通っていた。同年代の中高生はもっぱら自習に使っていたけれど、律儀な子どもだったわたしは「長時間の自習はご遠慮ください」の注意書きを間に受けて、図書館で勉強することはほとんどなかった。というか読みたい本を探すのに夢中で、勉強している時間がもったいなかった。
大学進学で県外に出たことをきっかけに、しばらく図書館との蜜月は途絶えた。一人暮らしをしていた間、わたしは驚くほど本を読まなくなった。自分は本が好きなわけではなく、たまたま近所に図書館があったから本を読んでいたのだと思い知らされた。
それでも二十年近く本を読みながら生きてきて、大学も文学部に進学し、国語教師の資格まで取ろうとしている。図書館がなければ、今のわたしじゃなかった。図書館がなければもっと違う自分になれたかもしれないけれど、あまり好きな自分じゃなかったと思う。
そして数年経って地元に戻ってきたわたしは、今日も図書館に足を運んでいる。気になっていた小説やエッセイを手に取り、ラインナップがかなり入れ替わったヤングアダルトコーナーを流し見し、雑誌コーナーで文芸誌をぱらぱら眺めてから帰る。自動貸出機などはなく、今も変わらず貸出カウンターで利用者証を提示するシステムである。
ところで図書館には、長年勤めている司書さんがいる。背が高くて無愛想で、ちょっととっつきにくい雰囲気の人だ。私が幼稚園の頃から見覚えがあるから、もう三十年近く勤続されていることになる。多分向こうも私の顔や名前を知っているだろうし、この子まだここに通っているの?と内心びっくりしているだろう。
数ヶ月前に司書課程のレポート作成のため、この司書さんに話を伺ったことがある。個人的な話はいっさいせず、当図書館の提供するサービスについて資料を交えながら淡々と説明してくれた。わたしも「あなたみたいな司書を目指しているんです」などと見えすいたお世辞は言わず、淡々とメモをとってレポートの参考にした。おしまい。