塾のアルバイトを受けたが、学力テストで弾かれて講師にはなれなかった。
「合格ギリギリなんですけどねぇ……」と気遣われた。テスト科目は数学と英語で、受験対策を売りにする塾ならば無論な審査だった。
「教える科目は自由、一科目からでもOK」という求人を見て、私は現代文の先生にならなれるかなと出てきた。全く気付かなかったが、求人にはあくまで「教える科目が選択できる」と書いてあり、採用テストの科目が選べるわけではない。現代文の先生になれたもんではない。
英語も数学も苦手だ。その場で採点され、その場で不採用が決まった。ボロボロの出来の解答用紙によって40歳くらいの大人が困っているのが忍びなく、たはは、そうですかい、みたいな態度で帰った。後日着信があり、事務員として働くことになった。
働いてみてわかった。私は、劣等感がすさまじい。同年代の先生方を見るだけで「あの人はテストに受かったんだな、子どもに教える仕事をしていてすごい」とからだの中身が湿っぽく薄暗くなる。先生方とうまく話せなくなり、集団塾特有の明るく雑ぱくな雰囲気に引け目を感じた。グループラインも定期飲み会も断った。
私は私より賢い人がいる場所に耐えられないのだ。自分のことを、なんだかんだ言って利口な部類だと買いかぶってきたツケだった。
事務バイトは、一ヶ月経つか経たないかで無断欠勤した。悪いことだと認識していながら休んだので、次の出勤で冷や汗をかきながら謝った。社員さんはまず「あ、あの日出勤日やったんや」と眉をまるく上げた。私の仕事は先輩事務員からパソコン業務を引き継ぎ(先輩が優秀すぎてほぼ終わっている)、生徒の書類を仕分け、あとは清掃や見回りをすることだったので、大事っちゃ大事だが、業務が溜まっていないなら、何時から出勤だけどと連絡するほどでもなかったのだろう。もしかすると社員さんは無断欠勤に気付いており、「次はちゃんと来て」のワンクッションとしてそらを使ったのかもしれないけど。その後、一回か二回、また無断で欠勤して、事務員を辞めた。
劣等感という性分が顔を出してすぐに私は向き合うべきだった。そうすれば……と思うような出来事が、翌年に起こる。その出来事の時点でさえ私は劣等感とうまく付き合えず、いろいろなものから逃げる。翌々年にあたる今も平然と逃げて、無視して、いろいろなものを取り戻せていない。