ぼんやり焦り生きている子

choreo
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書くのはしずかなインターネットがいい。シンプルで使いやすいから。でも、私は他人が書く文章、もっと言えば「努めて淡々とした文体を書こうとしてできた長めかつ易しい読み物」が好きなので、そういうのを狙って読もうとするとメジャーかつ検索機能が働くnoteが向いている。

淡々とした文体。私もそんな感じを目指している。高等遊民じみたスカシを身につけようとしている。貧乏だし怠惰なので、向上心を焚き付けるより鈍感に振り切るほうが楽だ。

「生活のなにがそれほど大切なのでしょうか」と「生活も心もすりつぶれそうで苦しい」を混在させているツイッターアカウントの文章を読むのは楽しい。人生なんとかなります、と言いながら、いざなんとかならないぞと見るとどうしようかなと頑張って藻掻いて感じ。きっと藻掻く腕も呼吸も必死だろうが、そう見えない。毛布を肩にかけてきゅっと掴んだまま浅瀬に入り、波や風で毛布がういたりふくらんだりするのを楽しんでいたが、波が思った以上に激しくなり焦っている。毛布を捨てられない、捨てようとしてもからだにまとわりついてしまう。不器用な人々だけど、効率的に生きられている人間より、目にやさしい色をしている。

(「きっと藻掻く腕も……まとわりついてしまう。」を後付けしたため、元々あった以下の文章と全然繋がらなくて困っている)

丁寧な思考と脆弱な外皮。いま私は就活の時期にいるが、未来の自分すぎるな、とも思う。受験関連のうんちゃら診断で理系脳だけど文系が得意!と下されたのをなぜか思い出す。よく分からないが、よく分からない人間になりそうだ、そんな困惑が共通している。

ちなみに丁寧な思考と脆弱な外皮、完全にポケットモンスターの新作ミームの語呂である。もっと他の言葉で表現できるかも知れないが、今のところはこれで行く。

追記  未来の自分すぎると書いたけど、がっつり現在の自分だ。手遅れ。自覚がないところが特に手遅れだ。