かりゆし58の「アンマー」という曲が好きだ。
沖縄の方言で「お母さん」を意味する、あの曲。最初から最後まで、主人公はどうしようもなく弱い。強さをはき違えて、言い訳を重ねて、大切な人を傷つけながら生きていく。それでも食卓には茶碗が並んでいて、どれだけ踏みにじっても、母は変わらず愛してくれる。
ずるいな、と思いながら、いつも泣いてしまう。
そしてラスト。主人公に子どもが生まれる。宝石みたいな女の子に、「優しさの中に凛々しさを秘めた人になるように」と願いを込めて、母の一番好きな花の名前を付ける。
名前に、願いを込める。
それがずっと頭の片隅に残っていた。
この休職期間、ずっと考えていたことがある。
自分はどう生きたいのか、ということ。何を大切にして、どんな人間でいたいのか。
仕事を離れて、肩書きも役割もない時間の中で、ただの自分と向き合っていた。朝起きて、散歩して、スキンケアをして、筋トレをする。そういう何でもない時間の中で、少しずつ気づいていった。いかに自分が、感情に振り回されて生きてきたかを。
嬉しいと浮かれすぎる。不安だと沈みすぎる。少し躓くと一気に崩れて、立て直すのに時間がかかる。そういう生き方を、ずっと繰り返してきた。
揺れること自体は、仕方ない。人間だから。でも問題は、揺れたあとに戻る場所があるかどうかだ、とだんだんわかってきた。
感情を感じていい。悲しいときは悲しい。嬉しいときは嬉しい。ただ、それに飲み込まれない。揺れながらも、中心に戻ってこれる。そういう静かな強さのことを、「中庸」と呼ぶのだと知った。
それだ、と思った。
毎日ちゃんと歩く。身体を動かす。肌の手入れをする。それは、外見を磨くためだけじゃなくて、自分の状態と向き合う時間だ。身体が教えてくれることを、ちゃんと聞く。そうしていると、感情の波が来たときも、どこかで「あ、今揺れてる」と気づける自分がいる。
揺れながら、戻る。それを繰り返すうちに、少しずつ重心が育っていく気がしている。
そんなことを考えていたある日、この発信を始めることにした。
何を書くか、どんな場所にするか、いろんなことを考えた。でも一番時間がかかったのは、名前を決めることだった。
「アンマー」の主人公が、子どもに願いを込めて名前を付けたように。僕も、願いを込めた名前が欲しかった。
「揺れながらも、中庸に生きられるように」と願い、僕が一番好きな言葉の名前を付けました。