相手が好きなのか、相手の作るものが好きなのか、混同すると辛いだろうな。わたしは人じゃなくて成果物を好きになるからわからないけれど。
人格破綻者でも連絡を無視せず犯罪に手を染めず仕事するならそれでいいし、そうじゃないと困る。人間性を問われたとき、わたしは確実に追い出される側だから。
仕事に支障ありません、プライベートでどれほど冷淡でもそれが犯罪でないなら仕事の評価には関係ありません。そうじゃないと、困る。
ていうか、仕事だけの関係なんだから、家庭がしっちゃかめっちゃかでも犯罪でなく、アウトプットさえよければOK、くらいの不干渉は大人として当然。
よくわからないんだけど、「仕事じゃなかったら関わってない」のは当たり前じゃないかな。仕事じゃなきゃわたしは誰とも関わりたくないし、相手もそうだと思っている。
わたしは、スペックからして、プライベートで関わりたい相手ではないだろう。わたしもプライベートで人と関わりたくないから、世界とわたしはプラマイゼロ。
そんなものだから、「関わりたくない」なんて言葉はわたしに届かない。既知の事実だから。
でもその言葉が届いてしまうひともいる。感覚の違いにくらくらする。
個人はプライベートに誰かを助ける義務なんか負っていない。スペック的に面倒なわたしは、プライベートでは避けられる。
その事実に反論はない。わたしも逆の立場ならそうする。
仕事でなければ誰とも関わりたくないし、ましてより面倒な相手なんて願い下げ。そうする自由は誰にだってある。
結局のところ、どこまで人に無償のボランティアさせる気なんだ。「関わりたくない」に傷つくひとを見て、人間への期待値高すぎてついていけなかった。