※フィクション※
原子的な取引は物々交換(1to1から始まっているであろう)。近代化に伴い、大量消費大量生産(マスマーケ)→商品飽和や情報化社会によるターゲットの分化(分化型マーケ)→高度な生産技術(再現性装置)の民衆化や消費者権力構造(消費者が生産者より力を持ちやすい構造)に伴うCtoC成長などといった1to1マーケティング。歴史的経過やそれぞれの時代を取り巻く状況は異なれど手法としての原点回帰。政府、マスメディア、SNS、金融機関など中央集権的な機能の崩壊が起こる兆候はあちこちで見られるがここでもみられるのである。ここで考えるべきはメーカーの将来像。メーカーという企業の在り方は消えゆくのか。「みんなと同じものが欲しい、みんなが良いというものが欲しい、オーダーメイドが苦手、こだわりがない、多くの人が同じ思いや考えを持っている、まだ解決できてない人類の悩み などなど」企業という集合体だからできることを整理し、自分たちがどの道に進んでいくかを定めて迷いながら進んでいくことが重要。そういう意味では4P以前に3C(4C)から支援が必要な中小企業も多いかも。(現代においてはトライ&エラーが比較的容易だから3C(4C)くらいがちょうどいい気がする。)
市場細分化ってどこから考えればいいか?って聞かれたときに、「マーケティングに有効であるかどうかを常に主眼に置く(端的にいうとビジネスインパクトと現実性に近い。)」というあいまいな回答をしてたんですが、コトラー=アームストロングがしっかり定義してました。①測定可能性②到達可能性③維持可能性④実行可能性の4つが基本原理。ほぼ異論なしですっきり、③の維持可能性の視点は持っていなく、それはメーカー(マーケティング主体)ではなく支援する側だったからという点と取り扱う個人ドメインの狭さ(事業レイヤーというよりもプロダクトとかそういうレベル)が原因と考えている。
最後に市場細分化の話で同質需要と異質需要集合という分岐の考え方が出てくるのだが、細分化における原理がこの言葉にも感じられてよかったので言及。前述した4つの基本原理以前に、需要(これを検討し定義することは必要だが)が本当に異なるのか?っていう自問を必ず入れないといけない。わかりやすく言うと、「メッセージを変えないといけないかどうか」。この考え方を掘り下げていくとターゲティングの意味(目的意識)やターゲティングに必要な調査活動に対する考え方が見直される気がしてくる。もう少しドリブルしてみる。ターゲティングをするんだったら、①そうすることで広告配信の予算が調整できて効率的に広告運用ができる②ユーザーに沿ったコミュニケーションができる③ユーザーに合ったプロダクトを作ることができる④顧客を起点に①~③も含む事業戦略が策定できる、とか一旦設定してみる。①はわかる。②③④はやらないなら意味ない。②はページか少なくとも広告配信を分けるって話。(しかもそれによって効果が上がるという条件が伴う)③は製品準備時にターゲット分類を使うって話。(しかもそれによって効果が上がるという条件が伴う)④顧客起点で事業戦略考えるつもりがないと意味なし。②に関しては「分けないにしてもこういう人がこれくらいいるからこういう言葉は意識していこう」という使い方はあるかも。①は広告効率だけならAIでいい。そう考えるとデータチームの考え方は合理的だが、支援を受けるメーカー側はなぜそれだと物足りないと考える(考えてない方々もいるかもしれないが)のか。明確な答えはないが、パッと思い浮かんだたとえ。家に自分の体調に合わせて必要な時に必要な量の薬が出てくる装置があるとする(一般社会で支給されるもので、全病気が治るわけではない)。医師に処方してもらうレベルと精度が一緒だとしたときに人はみな使うだろうか。ほとんどの人が使うと思う。ただ、しばらくたつと自分が飲んでる薬が何なのか気になってくる。どこまで情報提供をするべきか、調べるべきかそんなイメージだろうか。そして、会社の場合個人の体調問題とは違い、どうなってるか聞かれるのである。さて、ターゲティングのプロモーション活用は置いておいてユーザー分析の顧客理解観点での価値にフォーカスして考えると、より深い製品と消費者の関係性理解による理屈をわかった状態を維持する、新しい取り組みや次の一手に対する知識習得、社内報告用(多くの人間の満足・安心感)に帰結する気がしてくる(マーケティングのPDCAは行う前提)。これらは会社や担当者の嗜好や方向性に依存する部分が多い印象でそういう意味で娯楽的な位置づけにあるともいえる。