たぶん情報を得たのはtwitterだと思う。寺井奈緒美さんのリツイートか何かである本屋さんの投稿を見て藤岡みなみさんの新刊情報を知り、考え方が面白そうだなと思って色々見ているうちに『ふやすミニマリスト』と『パンダのうんこはいい匂い』を読んでみたいと思い購入。エッセイの方も読みながらなので人となりも理解しながらあっという間に読み終えた。モノや空間に対する思考から時間に対する思考に転換させるという基本構造がとても良い。良いというか、なんか自分ごととして妙に納得した。年末からの自分は複数の仕事を取るようになり本格的にフリー化した。その中でたくさんの情報処理や装備、を自由演技で固めていく日々が続く。隙があれば子供が風邪をひき、甘い誘惑が押し寄せてくるので規律を整えて生きていこうと頑張っているが、もう少し思い切った形で著者は実験を通じて思考を深めている。自分にはできなそうだけど、いつかやってみたい。デジタルデトックスとかよく言われるが、そういうことなんだなと人の体験を通じて改めて実感する。自分は体験記が本当に好きなんだなと思う。体験を通じた人の考えがとても好き。その時に人の筆はとても流ちょうになり読んでいるほうも陶酔に近い時間を過ごすことになる。これは音楽も一緒である。音楽と本は基本的に享受の仕方が一緒で考えるとどっちも楽しくなるのだと思う。本は学習など別の目的で読むこともあるが。
時間を減らす道具。子供の時は時間が長かったなーと思うのは時間を減らす道具が少なかったからだ。丁寧な暮らしをしなければいけないわけじゃないという考えもとてもしっくりくる。丁寧な暮らしは時間を増やしたり、タイパに絶え間なく襲われ続ける自分を瞬間的に客観視するためのいわばブレイクタイムに近い。結果、戻るもよし、「あっちの世界」の割合を増やすもよし。自分は昔から丁寧な暮らしではないけど、自分の価値観を大切にしたほうがいいんじゃないかなーと思ってなんとなく生きている人間である。大学くらいから割とずっと。人文学とはそういうものだと思っているし、そこが自分の選んだ選択の中でも割と気に入っている。だから、一般的に許容される生き方をそのまま行う気もあまりないし、むしろやだなと思ってて、今回のフリーになる決断も割とそこが重要だったりしてる(と自分を肯定しておこう)。だからこそ、こういった時間を増やす道具や行動に興味を惹かれ自分もやってみたいなーと思うタイプの人間である。ちょうど週末に兄や父にサッカーであれもこれも課金してるぜって話をしたけど、本当にそれは喜ばしいことなのか?課金したら見ないと気が済まなくなり、無為に時間が過ぎていくのではないか?Unextは解約してもいいのかもしれない。daznはジュビロの試合だけを見ようと思った。
もう一つ、モノがない自分は空っぽだなと思ったという表現が強烈に自分に突き刺さる。たぶん、自分もそうだなと思う。今こうしてパソコンを使っているがこのパソコンがない自分、スマホがない自分、インターネットがない自分、自分はその時に何をするだろう、「無い」人生にどういう意味を見出すのだろうか。その問い自体があまり意味がないのかもしれないが一度確認したい。藤岡さんはその自問を行いつつも最後には自分は自分だという結論に至ったといっていたが、結果はそうであれそのプロセスが大事なんだろうなと思う。モノとの付き合い方や周りに置くモノの再定義を近いうちにしようと思う。
そのときの一つの考え方というか、生き方?の例として面白かったのが、旅先に手ぶらで行く自分だ。これはしっくりくる具体イメージ。旅先に自分が楽しみたいものを持って行くのではなく、選択肢(をつくるための金)をもってその場の運命を享受するようなそんな生き方をしていきたい。これはミニマルじゃなくてもできること。ただし日ごろからこの思想を持っておくことが重要。案外生きていける。荒木さんの当時の生き方もそう、先週の自分もそう。人は使わないものを旅に持って行く、旅の道具の振り返りをしたほうがいい。そしてその振り返りを人生やモノの購入・放出時に考えることだ。それはそのもの自体の進退をどうするかを問うているわけではない(ここがミニマルではないゆえん)。その思考の中でありたい自分や自分の人生を見つめる、そして自己実現(というと堅苦しくて、要は楽しく好きに生きるベストな方法)に向けて舵を切っていくことである。もう少し掘り下げると、子供にもこの価値観を持っていてほしいなと思う。不当にモノを与えると時間が足りない人になってしまう。今の彼はそうなっていないか?寝る時間が無くなっていないか?与えるものの量は限定的にしてしっかりモノと向き合う時間を作ってあげることが重要なんだなと思った。(その時に何を選べばいいのかをちゃんと考えよう)