「22」中村一義と藤井風

cinnamon
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オリジナル:https://p-graph.net/text/22-nakamura-to-fujii/

 

中村一義。1975年生まれ。1997年、22歳の年に「犬と猫/ここにいる」でデビュー。

藤井風。1997年生まれ。2019年、22歳の年に「何なんw」(配信版)でデビュー。

中村一義がデビューした年に、藤井風が誕生し、共に22歳の年に(早生まれの誤差はあるが、学年として)デビュー。藤井風のデビューは、中村一義の22年後。どちらも早熟の天才的な扱いを受ける。

 

 

中村一義「永遠なるもの」

藤井風「帰ろう」

上の2つのMVのモチーフにも、通じるものが感じられる。

河原のような緑のある広い屋外での撮影。川沿い(?)の道を群衆が歩いていく様子。ソファーのモチーフ(部屋もしくは自分の居場所からの移動)。

しかし、2曲の歌詞から見て取れる、22歳の年齢差を持つ二人のシンガーソングライターの死生観・人生観は、ほとんど真逆といっていいほど大きく異なっている。 

 

藤井風「帰ろう」歌詞

あなたは夕日に溶けて

わたしは夜明に消えて

もう二度と 交わらないのなら

それが運命だね

わたしのいない世界を

上から眺めていても

何一つ 変わらず回るから

少し背中が軽くなった

ああ 全て与えて帰ろう

ああ 何も持たずに帰ろう

与えられるものこそ、与えられたもの

ありがとうって、胸をはろう

待ってるからさ、もう帰ろう

幸せ絶えぬ場所、帰ろう

去り際の時に 何が持っていけるの

一つ一つ 荷物 手放そう

憎み合いの果てに何が生まれるの

わたし、わたしが先に 忘れよう

失恋の歌にも聞こえるが、自らが直面する状況への強い諦めと絶望が表れている。世界に期待せず、何も持たずに潔くその場を立ち去る。帰る場所は全て手放した先にある、ここではないどこか。わたしのいない世界(来世?)。

 

中村一義「永遠なるもの」歌詞

ああ、部屋のドアに続く、長く果てない道…。

平行線の二本だが、手を振るくらいは…。

感情が、全ての人達に、降り注ぎますように。

古いよ。だって性分だ。そうだ。そうだ!いい。

全ては、みこころのままに。全ては、あの“なすがまま”に…。

全ての人達に足りないのは、ほんの少しの博愛なる

気持ちなんじゃないかなぁ。

愛が、全ての人達へ…。

あぁ、全てが人並みに…。あぁ、全てが幸せに…。

あぁ、この幼稚な気持ちが、どうか、永遠でありますように。

絶望的な状況に直面しながらも、世界を変えるのはこの世で暮らす人間同士の「愛」であり「博愛なる気持ち」だと説き、そして自らを鼓舞する。世界(現世)が変わるその先に「バラ色に変わった」僕の人生が訪れる。

(「博愛」は事務所の名称等にも使われるほど、中村一義の活動の重要なモチーフになっている。藤井風にとっての「HEHN」=HELP EVER HURT NEVER)

 

藤井風にとって「交わらないこと」が変えようのない「運命」であるのに対し、中村一義は(交わらない平行線に)「手を振るくらいは…」とこぼす。

中村一義は、「古いよ」と歌詞の中で自己言及もしていて、それは彼に大きな影響を与えた祖父の二郎さんや「あの“なすがまま”」(=ビートルズ)の教えかもしれず、だから両者の考え方には、実年齢の22年以上のギャップがあるのかもしれない。

 

「何なんw」MV

「何なんw」MV

「花」MV

@cinnamon
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