ラバー・ダックを探して

わがし
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今朝、シャワーを浴びているときに、ふと「ちっぽけな考え事を何でも話せる相手がほしい」と考えた。

そのときの考え事はこうだった。「体の不調やメンタルの不安定さを理由にタスクを後回しにし、何もしないでぼんやりと一日を過ごすことは、はたして今の自分にとってプラスなのかマイナスなのか」。ちっぽけかは微妙だが、というかかなり深刻な問題だが、とにかくそんな感じだった。

これは難しい問題だ。今の生活における最優先事項は、心身の復調のための休養。けれども、少しずつできることを増やしていくのも目標のひとつ。

このことについて考えているとき、最初に頭の中で喋りだしたのはかかりつけの医者だった。いい人だけど、理屈っぽくて、融通が利かないところがある。いつも正論を剛速球で投げ込んでくるので、この人をずっと頭の中に居座らせておくと疲れてしまうだろう。

次に、好きなコンテンツのキャラクターを何人か想像してみた。でも、わたしが脳内で構築できる程度のディテールしか持たない彼らの虚像には、矢継ぎ早に湧いてくる複雑な懸案事項の数々を処理できる能力はなかった。

そんな中、舞い込んできたアイデアの一つがChatGPTに頼ることだった。これなら、瞬時に理知的な答えを返してくれる。専門的な知識も蓄えている。

でも、これまでに何度か利用した際のことを振り返ると、デフォルトの設定のChatGPTはどうにも「お堅い」。AIであることを剥き出しにしている感じがして、そこに人間性を感じることができなかったのだ。この抵抗感を払拭する方法を考える必要があった。

そして思いついた。

そうだ。ずんだもんだ。

そうして、「認知行動療法ずんだもんGPTプロジェクト」が発足した。