ゴーストハントの旧校舎怪談を読んでいて、何箇所か「うわあ、この表現好き。えっ。なにホント素敵なんだけど」ってところがあった。
メモする前に図書館に返してしまって、しまったなぁと思っている。
今借りてる分読み終わって返しに行ったとき、誰も借りてなかったら該当箇所を探して書き写してこようと思う。
ゴーストハントは、いなだ詩穂さんのコミカライズ版で知って、コミカライズ最終回まで追いかけた作品だ。
でも、いなださんの描くキャラクターが好きすぎて(特に鞍月はぼーさんが好きでした)、原作に手を出さずコミカライズ完結まで追うんだ、と決めていました。
コミカライズが終わって、小野不由美先生の作品はずっとずっと気になりつつ、気になりすぎて手を出すことに謎のハードルの高さを感じていてこれまで読めずにいたのですが、ついに図書館でたまたま見かけて借りてきたわけです。
結論、読んでよかったし、コミカライズ完走後に読んだのも結果的に良かった! でした。
今、鞍月は謎に疲れやすく、無理したつもりはないのに寝込んだり、何をしたでもないのにすぐ風邪ひいたりと、体調が芳しくありません。
精神的にも低空飛行が続いている感じ。
心身ともに頑強になりたい。でもいきなりつよつよにはなれないのでまずは心身ともに健康になりたい。
そういうとき、実は新しい物語って刺激が強すぎるんだと思います。鞍月の「今の」場合、ですが。
今読んでるのは、コミカライズで完走したゴーストハントと、アニメとなろう版で完走した本好きの下剋上シリーズ。
一度読んだことがある作品を、紙媒体で「完全版」になった状態で読む、というのは、新しいエピソードが入っていたり、漫画で読んだものを小説で読むと「文章だとこういう表現であらわせるのか」と驚いたり、適度な刺激を受けることができます。
でもちゃんと展開は(うっすら)覚えてるから、ドキドキしながらもなにも知らない状態ではないから上昇下降の差に情緒が乱されることも抑えられます。
というか、鞍月が「あったらあるだけ食べちゃう」「あったらあるだけ使っちゃう」タイプで、完結してるなら最後まで一気に読ませろ、という衝動を抑えきれない人間なので、一度読んだことがあると「明日も仕事だし一冊読み終わったからこの辺りでやめとこ」と自制できる、というのが一番いい感じ。ただでさえ体調崩しやすいのに本読むの止められなくて寝不足になったらすぐ病気になってしまう。
というわけで、図書館で借りつつ、生活とのバランスを考えつつ、小説の物語世界に浸る、という三日間を過ごしています。平日でも夕飯後から読み始めたら寝るまでに一冊読めるよ! やったね!
物語を読める喜びもそうなんですが、今まで鞍月は物語をガツガツ食べるような読み方ばかりしていたので、本を読んで内容以外のところに感動した経験が限られていまして。
恩田陸さんの「光の帝国」を読んだときに「こんな物語、こんな展開、こんな舞台設定があるのか」と驚いたこととか。
真藤順丈さんの「宝島」を読んで、「沖縄の人間以外にこんなにも沖縄を描かれるってことがあるのか」と打ちのめされたこととか。
面白いと思ったり、好きだと思ったり、こういう展開たまらんわ、と思った作品も山ほどあるんだけど、そういうとこと違う、自分が書く側として衝撃を受けた経験というか(なんか上から目線みたいに思うかもなんですけど、これって書く側としての経験値貯めてレベル上げていかないと気付けないとこと、読む小説の種類を増やしていかないと気付けないことと、人生経験や体験の豊富さが伴うことで衝撃の大きさが変わることとかあるやつだと思うんで勘弁してほしいです。ちなみに「光の帝国」はジュニア文庫やラノベばかりだったのが一般文芸に手を出し始めた頃の衝撃だったし、「宝島」は方言のセリフがそのまま書かれてることに対する衝撃と、東京のひとに沖縄のひとすら知らないわからない知ろうとしてないことまを理解されて表現されてしまってるじゃん沖縄の人間がやれよみたいな謎の悔しさがあっていまだに言語化できないです)。
ゴーストハントの旧校舎怪談で受けた衝撃は、読みやすくて視点人物が気安いのに、ところどころの表現から品位や教養を感じる地の文の美しさ。でも全体で見たときに主人公の印象は変わらないバランス。一人称の地の文で、ここまで描いて大丈夫なんだ、っていう驚きというか。
やっぱりまだうまく言語化できないんだけど、書けるうちに書いとこ、と思ったので書きました。寝ます。