104巻を読んで白ひげ海賊団に抱えている感情が重くなった時の文

closedhoshino
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公開:2023/12/26

104巻を読んだ当時につらつら書いてた文章です。一年経ってるっぽくて疑いました。でも読み返したら書いた記憶がだいぶ薄れてたので本当に一年経ったんでしょう。

今とは考えの異なる部分を多分に含んでいますが、ライブ感があるなあと思うのでなるだけそのまんま出してます。基本的にぐずぐずと悲しみを綴っているだけなんで何回も同じこと言うてて少し恥ずかしいです。でもどこにも出さないのもなんだか勿体無いので、ここに置いときます。

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読者として、ファンとして、夢創作者として、同じ世界で共に過ごしたかのように感じている者として、一個人として、白ひげ海賊団に抱えている俺の感情をだらだら綴りました。特にまとまりのないノンフィクションの文章です。

白ひげ海賊団の皆がどんどん居なくなってくのがとにかく寂しい悲しい、という話をしてるだけ

私にとって、夢創作とワンピースは切り離せない関係にあります。「初めて夢創作にハマったのはワンピースだ」と言っても良いくらいです。とはいえ、夢創作じみたことは幼い頃からやっていましたし、初めて夢創作を行ったのは別の作品でした。しかし現在との連続性を考えると、ワンピースという作品は私の夢創作の一番根抵にあるなあと感じているのです。

ハマっていた当時の話を、少しします。私の夢創作の「場所」は、白ひげ海賊団にありました。読むのも自分で創作するのも、そこでした。今よりもずっと、彼らの情報は少なかったはずなんですが、それでもたくさんのサイトがありました。サイト毎に設定や解釈が違ってて、これがまた楽しいんですよね。毎日、毎週、いろんなサイトを練り歩いていました。

当時も今も、私にとって夢主は「私」ではありませんが「感情移入」はしたりしなかったりして楽しんでいました。

だから設定や解釈、感情移入の度合いに細かな違いはあれど、私には、白ひげ海賊団で過ごしたかのように感じられた時間と日々が、確かに存在しているのです。一時は埃をかぶりましたが、今でもそれは、私の中でとても大きな割合を占めています。

けれども当時既に、その「場所」は失われていました。

頂上決戦です。

オヤジは死にました。エースも、死にました。展開を悲しみながら、救済夢を漁ったりしていました。だけども当時は、割に平気でした。私自身が若かったこと。失われて間も無かったこと。それにエースの死については、ワンピースという物語全体において非常に大きな、ショッキングな出来事でしたから。悲しさよりも「すごいことになった」といった気持ちの方が強かったと記憶しています。

それから数年が経ちました。私は歳を取り、レベッカの鎧に萎えて以来に読み返し、まあ〜ものすっごい再熱しました。この様ですね。

キャラの好みもかなり変わったはずなんですが、推しは変わりませんでした。推し自身が変わっていたからです。解釈が変わった後の彼が、今の私の好みにドストライクだったもんですから、変わらずということになったのです。

私は白ひげ海賊団という場所を失った「その後」を考えるようになりました。原作でもそういった展開がなされていますからね。考えざるを得ませんでした。

私が非常に辛くなったのは、ワノ国編で、かつてのオヤジの昔話を読んだ時でした。何年越しでしょうか。私の知らない、彼の昔の話を知りました。

何回か呟いているしこの後も度々言及するのですが、この時の心境が「Lemon」の歌詞とほんとぴったり重なるんですよね。

何をしていたの 何を見ていたの わたしの知らない横顔で

マジでこれに尽きます。

私には、白ひげ海賊団で過ごしたかのように感じられた時間と日々が確かにあるのに、私はオヤジのことも、隊長たちのことも、何も知らんのです。

知っているのは、あの日々が戻らないことだけです。

今はみんな、散り散りになってしまいました。中には亡くなった人もいます。

あの日にサッチが死んでから、もうずっと「変わって」しまっているのです。それが改めて、本当に、悲しい。あの日々にはもう、戻れないのです。そう突きつけるように、物語もどんどん先に進んでゆきます。

今にして思えば、そんな物語が、あの時に始まってしまったんです。

オヤジの昔話を読んだだけでしたが、こんなにも時間差で、こんなにも悲しくなるとは思いませんでした。頂上決戦の頃には感じなかった悲しみが、重くのしかかってくるようでした。

すごいことになった、じゃないよ。

この感情を抱えている「私」が誰なのかはよく分かりません。「オヤジの子としての悲しみ」と言うと少し大袈裟で近すぎるように思うのですが、「読者としての悲しみ」と言ってしまうと何だか遠いような気がします。ただ、自分事のような、悲しみがあります。初めてハマった夢創作の「場所」だからでしょうか。

大切な人々との、楽しくかけがえのない日々が、こんなにも遠いことが、とにかく寂しく、悲しい。

戻りたい、という気持ちが湧きます。

またLemonを引用しますが、本当に、

あんなに側にいたのに まるで嘘みたい

とても忘れられない それだけが確か

なんです。サンキュー米津玄師

別に側にいた訳ではないと思うのですが、そんな心地がします。

いつか、白ひげの船を再現した空間に身を置いてみた日には、「懐かしい」と感じたりするのでしょうか。

しかしまあ、常日頃この悲しみの中にいるという訳ではありません。そうでなければイチャイチャ女攻め男受け夢などやっていません。

二次創作は時を超えることができます。何なら全てをガン無視することだってできます。というか作者がif世界の絵を描いてたりしますからね。ワンピース学園とかいう最高時空だってあります。

そうだと分かっちゃいるのに、原作を読むと、まるで現実に引き戻されるかのように悲しみがぶり返すのです。

イゾウがマルコに対して「酔った時のオヤジかよ」と言い放つ、あのシーンとか。懐かしく、大切で、もう戻らないあの日の、片鱗の言葉だと思いました。やめてくれと思いました。

ワノ国で描写される「白ひげ海賊団」の姿は、全てずっと、「過去のもの」なのです。未来ではない。新しく知るのは、過去のことばかり。その過去は、サッチが亡くなったあの日に収束してしまうというのに。

過去に囚われているな、と自分でも少し思います。

しかし未来が恐ろしいかと言われると、全くそんなことはありません。むしろ逆です。私はワンピースの世界政府に中指を立て続けていますし、あの世界構造をぶっ壊したいと思っている側の人間です。

きっと多くの混乱が訪れてしまうでしょうが、私にとって旧制度の破壊は希望でしかありません。これからの新時代を、本当に楽しみにしています。

だけど、話が戻りますけども、その新時代に、私の大切で大好きな人々が「みんな」居る訳ではないのです。新時代に託して死んでしまった人々の中には、私の大切な人たちがたくさん居ます。それがやっぱり悲しくて、私は脚元を眺めながら、こうやって立ち尽くしてしまうのです。

先日104巻を読みました。

オヤジもエースもサッチも、イゾウも、居なくなってしまいました。

各地で散り散りになった隊長たちだって、もしかしたらもう、死んでいたりするのかもしれません。

そう思うとまた、寂しさと悲しさが込み上げてきます。

何処にでも行けそうな1番隊の不死鳥の隊長は、何を思うんだろうと思います。

不死鳥のあなたは、さらりと言いました。

「また生き残っちまった」と。

まるで死に場所を探しているように思いました。

私はあなたにまで居なくなってほしくない、と思っています。

10年と少し前からずっと今でも、あなたはわたしの光なのです。

これからもできれば光であってほしいし、できれば生きていてほしいと思います。

でもそんな風に願うことは、あなたを縛りつけるのかもしれないとも思います。

そも、生きてほしいというのだって、私のエゴでしかありません。

だけどそれでも、私はあなたをこの世に引き留めたいのです。

ところが今一度考えてみると、私自身はワンピース世界には居らず、引き留める手立てが無いんですよね。

相互作用的なものを、何も持ち合わせていないのです。

そう思うと少しだけ寂しくなりますが、私は有害な人間ですし、逆に、持っていたら良くないことになるだろうとも思うので。まあこの辺の是非(「星野」を主体とするタイプの夢)は、今はどうでもいいことです。

代わりに、というか、自分のやりたいことを他人にこうして託すのもどうかと思いますが。

隊員の夢主は、ワンピースの世界に居ます。

きっと彼女は、あなたをこの世に繋ぎ止めようとすると思います。

お人好しのあなたのことだから、それに応えるんじゃないかな、とか、勝手に思っています。

あなたと彼女が幸せになるのを見たい、とも思っています。

彼女も私も、あなたのことが大好きなのです。

どうか、永く生きてはくれませんか。

あなたの人生に幸多からんことを。