たしか2だったと思う。発売日は学校がある日で、わたしは小学5年生だったから本当は学校に行かなきゃいけない。弟には優しく、わたしにはとても厳しい母だったのに、なぜかわたしだけ学校を休んで、母と隣町のダイエー(ユニードかも)に行った。3Fのおもちゃ売り場にぎちぎちと並んでいる列にまざり、無事それを手に入れてとにかくワクワクしたのを覚えている。あれは予約をしていたのか、それともただ並んで買えたのかは分からない。家に帰ってゲームをしたのか、弟が帰ってくるまで待っていたのかも覚えていない。ただ、おもちゃ売り場にいつも厳しい母といること、待ちに待ったゲームソフトを手に入れるうれしさと期待、緊張、おとなも子どももたくさんのひとが興奮気味に並んでいる独特の雰囲気に、ぴょんぴょん跳びはねたい気分でいたのはとてもよく覚えている。
3も買った。4も5も。でも6から買わなかった。中学生になって仲良くなった友だちが、ファイナルファンタジーの1か2を貸してくれたから。
「トードでカエルになってこの水路を行くんだよ」と教えてくれた場面。そこがとても面白かった。そこではまったのかもしれない。3はあまり覚えていないけれどエンタープライズには乗った気がする。4・5・6あたりの記憶は曖昧だけれど、ピアノのおけいこや、ゲーム開発室に行くのが好きだった。7はやり込んだ。忘らるる都は美しかったしエアリスで茫然とした。ケット・シーで号泣した。黒いチョコボをがんばった。8は最初の学園で「ファンタジー・・・?」とわたしのおもうファンタジーとの違和感を抱えてしまい、多分クリアはしていると思うけれどずっとこころが動かなかった。9は予告CMで泣いた。こころの病気になっていたときだったから、もうとんでもなく泣いた。購入して説明書を見てまた号泣して、ゲームをしながら泣いて、何度も中断しながら、とにかく泣きながらクリアした。そしてそこでストップ。10からはやっていない。だから1番思い入れがあるファイナルファンタジーは9。とくに泣いたのがこのふたり。あのときのわたしにはこのふたりがとくに痛かった。
ビビ・・・哀傷「生きてるってこと証明できなければ、死んでしまっているのと同じなのかなぁ・・・」
エーコ・・・孤独「大丈夫だなんて思わないで・・・、一人でいるとさびしさがいっぱいやってくるの・・・」
人生で1番好きなのは、わたしの傷に寄り添ってくれたFF9だと思う。
そして今朝。Nintendo Switchと2で遊べる『ドラゴンクエストI&II』が発売とのニュースを見た。そのパッケージイラストなのかな。鳥山明さんとは違うタッチのイラスト。今からボスに挑むような、二人の勇者と仲間の絵を見て涙がでてしまった。5までしかやっていない。だからか思い出は凝縮されている。
はじめて仲間ができたこと。仲間と謎を解いてまた仲間ができたこと。世界中を一緒に冒険したこと・・・。わたしは勇者ではなく、最初のひとりだった。勇者ははじめての仲間で、サマルトリアの王子とムーンブルクの王女と4人パーティだった。ひとりじゃなかった。そのさみしくない時間を、頼もしい仲間を、楽しい旅を、ドラゴンクエストが経験させてくれた。だから、ドラゴンクエストで1番思い入れがあるのは2だと思う。そしてファイナルファンタジーよりも先に、わたしをひとりぼっちから救ってくれたのがドラゴンクエストだったのだと思い出した。だから、いま、こころがぎゅっとなっている。昔のなかまと会えたような。鳥山さんの絵ではないこと、それもすこしあるかもしれないけれど。でも、また会えた気がした。
わたしのはじめてのパーティーメンバーたち、ひさしぶり。いまからボスを倒しに行くんだよね。遠くから応援してるよ。もうひとりの、そこにはいないけれどずっと一緒に旅をして、成長してきた仲間のことも。どうかどうかその世界に、こちらの世界のだれかのこころに、平和のひかりを!
追記:よーく見たらもうひとり。どうやらリメイク版にはもうひとり、サマルトリアの王女もいるよう。ムーンブルクの王女がちらりと勇者を見ているのもいいな。いろいろと落ち着いたら、いつかまた一緒に冒険したい。