岐阜に初めて訪れたのは先月、2023年10月初旬で、目的はその土地の何が閣下と言う知の巨人を育んだのかと言うことを確かめることにあったのだけど、同地に足を踏み入れて最初に感じたのはそのことよりも自分の地元との違い、もっと言えば差だった。日本の他の大半の地域と同様に、岐阜もまたこれまで自分には何の縁もない地域だった。岐阜について思いを巡らせたことは、気の重い親戚の次男の進学先ほどにもない――ありていに言えば、そんな場所だった。中国の内陸部の、さらにずっと奥、商社の社員でさえ行かないような先にある秘境の方が、自分にとっては岐阜よりもまだ近いかもしれない。岐阜に行くよりも、NASAの宇宙飛行士試験に合格して(そんなものがあるのか知らないが)月に行く方が遥かに現実的だったと実際に訪れた今でさえ思う。(実際、東京と岐阜市を結ぶ直通の高速バスは存在しなかった!)
岐阜は思ったよりも大きな街だった。この時はそんなことさえ知りもしなかったのだけれど、政令指定都市なのだ。自分の地元の隣町くらいの大きさに思っていた自分は、磨いたように真っ白な駅前の通りがいったいいつ息切れを起こしてみっともない田んぼや空き地の緑の絨毯を見せ始めるか、あるいは寂れたシャッター街と新装開店したてのパチンコ屋に成り果てるか(いずれもさながら地元のように)、意地の悪い好奇心で見届けようとしたのだけど、先にみっともなく息切れを起こしたのは自分の方だった。それでもまだ岐阜が大きいと言う実感はこの時点では持っていなかった。岐阜駅前には(景観を著しく損ねるあの)ビックカメラは存在しないし、イオンだって見当たらない。高島屋とて地元には健在だ。東京の企業により搾取されていると言うだけであるにしても、地元の方が全国区だ。そう思っていた。(もっとも岐阜市の高島屋の撤退が報じられたのは訪問後のことだった。白状すれば、この報道に自分の痛めつけられた愛郷心は甚くくすぐられたものだ)
地元よりも岐阜の方がどうやら大きいらしいと言う事態がおぼろげながらに呑みこめ始めたのは、金華山の頂上に着いてからのことだったと思う。しかし、そこで見た光景は、同時にどこか奇妙な印象を自分に残すことになった。現地の登山者に追い立てられながら馬の背を登って展望レストランの屋上に立つと、360度に渡る途切れのない街並みに取り巻かれる。地元のいかなる山頂からも得られない眺望だ。特に南側の、名古屋市まで続いて、遠く地平線の先で霞んで消え入る都市の景観は、その前日に訪れた東京にさえ劣らない都会の風景に思えた。「まるで名古屋の衛星都市じゃないか」、誰しもが抱く所感をこの時の自分も抱いたのは事実だが、それは自分の違和感の本質を捉えていない。そもそも、この時点ではまだ違和感を抱いているとさえ思っていなかった。ただ、岐阜と言うそれまで匿名的な、(自分の中で)代替可能な存在にすぎなかった一地方都市が、地元を遥かに上回るスケールを持っていたと言う事実に、どう自分の中で折り合いをつけるかと言うことの方が、この時の自分にとってはずっと差し迫った問題だった。岐阜市民にとっては、(認めざるを得ないが)自分の地元こそ代替可能だった……!
閣下の足跡を辿ると言う目的は(この時点では)不調に終わりこそすれ、地元に帰ってからも(ちなみに日帰りだった)、この問題――岐阜に対して地元の、何が地元を足らしめるのかと言う郷土愛の危機は自分の中でくすぶり続けていた。地元の街並みが(これまで以上に)散文的で、つまらないものに見えるようになった。どこを見ても岐阜と比較して、そのあまりに特徴のない凡庸さに裏切られたと言う思いさえ抱きかねないほどだった。これまでそのどうしようもないほどの退屈さに目を瞑って、妥協に妥協を重ねて好意的に捉えてやり過ごしてきた地元での日々はすべて無駄で、無意味だったのだろうか? 道端に咲く名もなき花にさえ見出していた、見出そうと努めていた、そう自分を欺いてきた地元ならではの魅力は、実は日本全国――殊に岐阜においては――どこにでもある、取るに足らないありふれたものにすぎなかったのだろうか? だとすればそれは、仮に自分が岐阜市民でも、自分は今の自分のままでいられたと言うことなのだ。この時の自分にできたのは、そうした自己の同一性を脅かしかねない危険な自問への回答を、ただ保留にして無期限に先延ばしし続けて抵抗することくらいだった。...