からっぽになるって一見すると悪いように見える。
なにもないとか、身がないとか。それは「ある」ことに価値が暗黙的におかれていて「ない」ことは無意識的に悪いことに捉えている構造がある。
しかし、「ある」は「ない」に支えられていることをそれは同時に示している。
「ない」ということは、「ある」を迎い入れる準備ができているということ。からっぽにならない限り、つぎのものは入ってこない。日々情報に触れたりしていると入ってきているように感じるけど、それは通り過ぎているだけのように思う。
空(くう)は仏教ではあらゆる物事に実体はなく、相互に依存しあっていることを表す。
そう考えると、なにかが悪い・良いという判断すら分からなくなる。その視点に立って日々を過ごすとどうなるだろう?
いろんなことに関心がなくなるのかもしれないし、何にも動じなくなるのかもしれない。
でも、心が穏やかになる感覚はある。
からっぽにするって、悪くない。