スリーマンセル・ワンライフ#2

頭の中の二人の私と過ごす私の人生は一つだけ。

常に私の頭の中には二人の私がなんらかの議論をしている。「あーでもない」「こーでもない」と何かしらの試行錯誤を繰り返している。実物を伴わないため、全くの机上の空論である。いやむしろそれよりも荒唐無稽な話を繰り返している。

絵日記に晴れた空を描き、今日の天気は「ぶた」でしたというような。

しかもどちらも他人ではあるものの「私」に変わりはないため、持っている経験や知識は「私」以上のものにはならない。したがって延々と同じことを繰り返すのだ。

どれだけ繰り返しても「1+1」の答えは「2」なのだ。まあ、これについては「田」と答える人もいれば「無限大数」と答える人もいるし、「1」と答える人もいるかもしれないが、そういうことを言いたいんじゃない。繰り返し繰り返し同じことをしているのだということを言いたい。

逆に言えば、それが私の中で最も気になっているトピックスなのだと考えることもできる。この文章を打っている私は頭の中で議論をする二人の私とは別なので、二人の議論を聞かせて頂きながらタスクを書き出して、実行するかどうかを私自身が決めることができる。

ある意味、これはこれで楽なのだ。ただ、「お前ら口だけ言ってやるのは私だな」と思うこともある。すると二人はこう返してくる。「お前とは言うが私であるし、私がやるのだからなんのおかしなこともない」困った。ややこしくするだけだ。

ところで、エコーチェンバーという現象をご存じだろうか。

自分と似た思想や主張の人たちの集まる場所でなら、その発言は肯定されやすく助長されやすい、というものだ。頭の中の二人の私の議論と、この文章を打っている私とは同じ「私」なのだから、要望や意見が通りやすのではないか。

つまりあらゆるものが自分だけで自己完結してしまうのではないか。ポジティブシンキングやネガティブシンキングに陥りやすいのではないか。私なのだから、私を否定することはあるまいと。

そう思うだろうか? 残念ながらそうではない。

例えば買い物などで「今週頑張ったから、スイーツの一つくらい買っていいんじゃないかな」とか思うとする。売り場まで行って、何を買おうかなんて迷っていると、頭の中の二人が議論を一時的に中断してまでこう言うのだ。

「うわ、お前マジか」「家に帰ればお菓子あるよね」「ホットケーキミックス残ってるだろ。使いきれよ」「ダイエットしてなかったっけ」「特に何も考えずに食べるんだろう、どうせ」「まあ、好きにすればいいんだろうけど」

頭の中の私は、同時に他人でもある。

私が私の人生に必死になっていると、二人の議論は聞こえなくなる。単純に脳のリソースが費やされているのだと思うが、なんとなくそういう時は二人との距離が離れているのだと思う。

そしてまた、いいところで二人は戻ってきて議論を始める。「あーでもない」「こーでもない」などと言いながら、私が知っていることしか知らないのに今日もまた議論を重ねている。そしてまた口を挟んでくるのだ。

「生きるならもっと本気でやれ」「後できっと後悔するよ」

余計なお世話である。

@coccoma_krkr
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