(「出たら最後、中に居た相手と二度と出会えない部屋」のツイートのやつ)
その部屋には何もなかった。
あるのは僕と、きみと、"出たら最後、中に居た相手と二度と出会えない部屋"という馬鹿みたいな文言の書かれた扉がひとつ。
そんなセンスのない冗談のような何かを信じたわけではない。決してそんなことはない、が。
「……出たらもう会えなくなるってさ。 どうする?」
例えばの話だ。
もしもきみが、いま背負っている使命だとか、期待だとか、もしくはその導師という肩書きそのものに、何かしらの苦しみを抱えているのならば、と思ったのだ。
「僕としては、」
きみと一緒ならば終わりが来るまでここでふたりでも。
天族の僕と人間のきみとでは寿命が天と地ほどに違うし、置いていかれてしまうのは目に見えているけれど、それでも。
きみが平穏にその一生を終えられるのならば、僕は寂しくて寂しくて泣いてしまうことになっても、それでも構わないのだ。
すべての条件はただひとつ。 きみが幸福であるなら。
「スレイと二度と会えなくなるくらいならずっとここで暮らしてもいいかな」
そんな願いを込めて絞り出した、(おそらく)この部屋の名前よりもくだらない僕の冗談にきみは生来まんまるな目をさらにまるくして、小さく首を傾げた。
「え、ミクリオまさかこれ信じてるわけ」
「……そんなわけないだろ。 これは可能性の話でありリスクマネジメントの話だ。 もしもを考えておいて損はない」
「もしもなあ」
ううん、と小さく唸ったスレイはやっぱり首を傾げたままへらりと笑う。
「やっぱり気にしなくていいんじゃないかな」
「スレイのそういう考え無しなところが」
「んー……、そうじゃなくてさ、」
スレイの手袋越しの手が、彼のものよりもずっと頼りない僕の腕をするりと滑っていき、剥き出しの手を掴む。
そのまま先導するように歩き出すのに僕は何故だか抵抗出来ずに、大人しく着いて行く。
いつでもそうだった。 僕らの関係は。
好奇心のままに僕を振り回して引っ張って"世界"へ連れ出すのはいつだってスレイなのだ。
「オレたちが会えなくなるわけないだろ?」
ずんずんと大股で進んでゆくスレイの後ろを半ば小走りになりながら続く僕にからりと笑って言う。
「根拠は」
「無いけど大丈夫! オレがミクリオを見つけられなかったことないだろ?」
「……まさか子供の頃の隠れん坊の話をしてるのか」
「オレの全勝だった」
「僕だってきみを見つけられなかったことないだろ!」
「ほら、」
だから、大丈夫。
そう言ってドアノブに手をかけたスレイは躊躇いなくそれを回し、何があるのかもまだ見えていないままの向こう側に踏み出そうとする。
「いいのか」
「いいよ、」
何をいいのか聞かれたのか分かっているのかいないのか、即答したスレイは軽やかそのものの足取りで、謎の警告文と退屈と平穏に切り取られた世界の境界を越えた。
そして僕も、ひと足先に戻ったスレイのいるどうしようもない現実と穢れと希望の世界へ帰ってゆく。
次の瞬間に掴まれた手の温もりが消えてしまっていても、きっと大丈夫だと思った。