最近顔文字を止めた。そろそろ落ち着いた大人になろうと確信したのかしら。
最近平日のお風呂後はスマホとパソコンの利用を止めた。代わりに読書をしている。こちらの方がぐずぐずせずに早く寝られる。
思えばアラフォーの年齢に差しかかった時から、変化を恐れないようになった気がする。それはタイトル表記した歌詞のおかげかもしれない。これは『ロングホープ・フィリア』の一節。作詞は私の大好きなamazarashiの秋田ひろむさんだ。初めてこの歌を聴いた時、特にこの詞に心がグッと突き刺さった。変わっていいんだ。自らの意志で変えたのだからいいんだと。
今は変化の激しい時代だ。だから対応するために変わる必要がある。それに伴う心境の変化も大いにありうるわけだし。でも、わかっているけど"○○じゃなきゃ私じゃない"と、変なレッテルを貼りつけてる節が過去の私にあった。amzが好きだから、ライブは必ず行ってamzの円盤やグッズをたくさん所有しないと私じゃない。声の表現が好きだから、毎日Xに上げなくては私じゃない。妻だから、全て夫に合わせなくては私じゃない。今振り返ると、そりゃあ生きづらいわと痛感する。
この歌詞は、こんな風に心もちを変えてくれた。自分の軸をガッチガチの鋼から、しなやかに揺れるも折れない柳のように。正しく希望の歌である。
そしてXを見ていると、鋼の軸で苦しんでいる人を多く見かける。早く転換できればいいのにと思いつつ、価値観は人それぞれなので見守ることにする。ちなみにツイッターからXに変わった時、いち早くXと言おうと決めたのもこのためである。