頭痛で私が得たもの⑧-頭痛は警告という名の味方

2年前に半透明の歯車という酷い頭痛に襲われた時、どうしてこうなったのだ、頭痛のない時に戻りたいと嘆いたこともあった。だが、容態が徐々によくなっていくと同時にこんなことも思うようになった。

"そんなに無理して生きるな、ということじゃない?"

最初は、頭痛のない頃のように仕事して家事して趣味も楽しんで、あれこれすぐに取り掛かってこなしたいと思っていた。でも、私ってそんなにたくさんのことをやれる人じゃないよね?もっと気楽におだやかに生きていたいって思ってなかった?それならやりたいことを頭痛が起きるほど負担にならないところまで厳選して、落ち着いて取り組んだ方がいいのでは?

そこで半透明の歯車が見えなくなっても、無理してたくさんのことをするのを止めた。(ミニマリストについて、より興味を持ったこともあるが)やることを絞ることによって、より楽になれた。

それに最近『精神科医が教える病気を治す感情コントロール術』を読んだ。1番共感したのは、この文だ。

病気は「敵」ではない。「味方」と考えよう。

要は、元々嫌でやらなくてよかったことが、できなくなっただけのことだったのだ。今は頭痛は敵ではなく、心身の黄信号を教えてくれる味方なのだと受け入れ始めている。

@cocobo
世間から見たら何者でもない内向的なアラフォーの私が、より良く生きるための考え・方法をマイペースに記す備忘録。 主に健康・お金・メンタル・ミニマリスト・エンタメ含むアートに関する事柄を書くが、主観的で雑多なことこの上なし。