日記っていうやつ

cococo
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ずっと自分との対話は続けてきた。それがいちばん大切な時間だから、わざわざ自分の考えとか、気持ちとかを、「誰かに見せるための」文章として綴るようなエネルギーも時間も、今の私には無いなあと思ってきた。

そういえば、誰かに見られることを意識して、文章を書くのはいつぶりだろうか。仕事で書くことはあっても、本当に、徒然なるままに、プライベートに、文章を書くこと。もしかしたら、高校3年生のときの、当時は恋だと思い込んでいた気持ちを、ひたすらに並べていたとき以来になるのかもしれない。

ツイッターもといXでは、自分が思ったこと、起こった出来事を、とりあえずアウトプットするために文字に起こしているけれど、140文字の制限があるときと、こうやって制限なく綴っていけるときって、やっぱりちょっと違う。文章を、ちゃんと繋がりを持って、前後と関わりあって、生まれていける感じがする。

先に記載した、高校3年生のときの言葉たちは、当時は受験生だったことも影響していたのかもしれないけれど、我ながら、良く出来ていたと思う。選ぶ言葉、文字のリズム、ある人への想い、何回読んでも思い出せるような、そんな記録だった。それからずっと140字の箱の中だから、文章が下手になったなあって、ちょっと思っている。もう、それから12年くらいが経つ。

ちょうど新生活も、もうすぐ始まることだから、いつまで続けられるかわからないけれど、気まぐれに、無理しない程度に、誰かが触れることを意識した言葉たちを、並べていこうかなって思う。12年ぶりのリハビリだと思ってやってみたい。

私の生活は、とてもとても日常的。でもその日常を、大切にしていきたい。今ある生活、仕事、家族、友人、やりたいこと、できること…特権塗れの私の生活。いつ何が起こるかわからない人生だから、今、目の前の時間を、確かに生きていきたい。それを記録に残して、慈しむことが出来たら、とっても素敵なこと。ここはそういう場所になるといい。

明日も素敵な1日になりますように。