私の父について語る

私の父は卓球が強かった。

私の父は学生時代卓球を嗜んでおり、教職員の部で日本一になったことがあるらしい。ペン使いで、学生時代に使っていた卓球のラケットをいまだに持っている。相当長年使い込まれていたのか、木製ラケットの裏側に指の凹みができている。私自身も卓球を嗜んでおり、私が中学生の頃1度だけ体育館に連れていってもらって打ったことがあった。通常の打球に常に斜め回転のドライブがかかっておりかなり打ちづらい。

私は当時市内で最も卓球が弱い中学校の卓球部に通っており、学校の階段の踊り場で卓球の台を広げて練習をするような環境にいた。申し訳ないが先輩達があまりに弱すぎて、1年生の私や友人が3年生に勝つこともしばしばあった。そして当時強い人を求めていた私にとって父は格好の練習相手だった。父はめちゃくちゃ強かった。

父の卓球繋がりは今でもあるらしく、大学時代のOB会からの連絡が年に1回ある。父はそこで会長とか副会長とかやってたことがあるらしい。

私の父は私を大学に行かせてくれた。

私の父は公務員であった。学校の先生になり卓球を教えたかったらしいが、経緯は分からないが結果的に図書館の司書的なことをやっていた。40年。働いて稼いだお金で私ら息子を大学に行かせてくれた。私ら息子は4人兄弟で全員大学に行った。

卓球を教えてくれたこと、大学に行かせてくれたことを父に感謝している。しかしその他の点でおかしいと思うところが多く、父の老後を支えるかどうか悩んでいる。

私の父はギャンブル好きである。

私の父はいわゆる団塊の世代と呼ばれている年代で、かつ公務員をおおよそ40年間勤め上げた。おそらく退職金は数千万をもらっていただろう。その退職金が1年間で消え去った。何に使ったか、それはギャンブルである。

台所にいた母と父との間で怒号が飛び交う。

「またギャンブルでお金使ってるんでしょうが!!!」

「使ってねええよおおおぉぉ!!!!!!!!」

怒号が過ぎ去りし頃、私はふと台所にある不思議な形のしたビニール袋に目をやった。直方体の馬券がそこにはあった。直方体の馬券とは、馬券が何百枚か重なった姿である。そして洗濯機で父のズボンを漁った。競馬場でしか得られないであろうハンカチがあった。

父の1日を偵察、悪く言ってしまうとストーキングしたことがあった。父はよくパチンコ屋のZAPに通っていた。父は、2ヶ月のうち1週間は規則正しくZAPに出社しているようで、その1週間を過ぎると家に引きこもるようになる。私の知識から察するに、おそらく2ヶ月に1回ある年金の支給を1週間で使い果たしている。

父の携帯から、「川の流れのように」の着信音がなると、またかよ、と思う。私はあまりギャンブルに詳しくないが、

「お座り一発よ!」

「今日は10万すっちまったよ〜」

とかいう発言から察するに、多分ギャンブルの仲間と会話している。私はその実態を母に報告するために調査に乗り出し、「川の流れのように」の着信音がなった後、父が夜な夜な外出しているところをストーキングしたことがあった。私は探偵や警察ではないので誰かを追跡する技術は持ち合わせていないが、父は視力がかなり悪いため近づいても気づかれない。何度か偵察を繰り返すうちに特定の車両ナンバーの車に毎回乗っていることがわかった。兄に協力してもらい今度は車の追跡を行った。すると毎回謎の女性と毎回ガストでワイワイ楽しく話していることがわかった。これ、いわゆる不倫に近いのではないだろうか。母に報告したが、母は怒りを通り越して呆れていた。

お金について父を除いた家族が最も許せなかったことがある。

「有楽町駅のトイレで10万円無くしちゃった事件」と私は呼んでいる。

ある頃、私の兄の結婚式が行われることになった。式場は九州で行われることになり、私たちが住んでいる関東から離れた場所で開催される。結婚には色々お金がかかるだろう。九州には飛行機で行くことになったが、家族の仕事などで都合が合わなかったため、家族一緒での出発ではなく各々で出発することになった。このため母から各々に10万前後、旅費式代食事代などが配布された。しかし父が言う。

「有楽町駅のトイレで10万円無くしちゃったわ」

父のぞく家族の結論はギャンブルだった。そもそも何しに有楽町行ったのか。なぜ有楽町のトイレで10万をなくしたと断言できるのか。というか10万円もの大金を扱っているんだったら気を付けろよとか、もっと探せよとか、警察に届け出てないところとか、ツッコミどころはたくさんあったが、今度は10万無くしたから父は結婚式に行かないと言い始めた。息子の結婚式だぞ、行けよ!!