おばけの言葉

彗星💫
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すてきな感想レターをいただいてにこにこしています、嬉しい!!なにが嬉しいって、わたしの言葉がちゃんと存在しているってアウトラインをひいてもらったような気がして。

わたしはいつも思考を言葉にして整理するのだけれど、そのプロセスをたとえばフォロワのいないXとか誰にもみられないノートとかに書くのはちょっと違う。ギャラリーのいる前提で、わたしは彗星としてどう見えていたいのか、したいことと見せたい自分と今の感情の間にギャップはどれくらいあるか、多分そういうことを意識していたいのだと思う。

でもその作業を色々な人が見ている場所でやると、誰も見ていないところでやりなよ、もしくは俺しか見えないとこでやりなよ、とよく言われるんだけど。ごく個人的な場所でしか言えないような事というのは、大嫌いとか大好きとか悔しいとか悲しいとか嬉しいとか、もう絶対的に強く存在していて、それ自体はいじりようがないのだ。問題はそれら強い気持ちをどう一般向けに希釈して、「ただのわたしの感情じゃなくってよ、ジェネラルな話よ」みたいな顔を如何にもっともらしく見せるか、ということなんです。

とは言え人が多くなりすぎるとそれはそれで不都合も生じてくるし、なかなかちょうど良い場所というのはないもので。そもそも衆人環視で言葉の整理作業をするのをあまり好まないあなたが、「きっと生きてはいるだろう」くらいのレベルでしか存在感を放たないので最近は誰にも届かず色褪せていく、廃棄のお弁当の幽霊みたいな立ち位置になっていた言葉を拾い上げてもらったような気持ちです。ありがとう。

たぶんわたしは一歩間違えれば本当に誰とも付き合わなくなって家から出なくなると思う。物凄く社交的で人懐っこく寂しがり屋でもあるけれど、それ以上に怖がりで面倒臭がりだから。見られながら書くことは、刹那的な繋がりだけでなく、きちんと言葉で伝えて言葉で繋がることを大事にしようとする努力のひとつでもある。泣かないでニュースを読むとか、お葬式で笑わないとか、怒りを抑えて対峙するとか、叶わぬ恋にそっと蓋をするとか。確かに存在するものにそっとベールをかける、イメージはそんな訓練。

@comet
彗星の日と、小石の日があります。