自分の五感が接する地点(by村上龍さん)

blueskyにこんな事を書いた

【村上龍氏の

「テレビは見なくなったし、新聞も読まなくなったし、読む本も非常に限られている。情報を得る場所がどんどん消えていく。いずれネットも見なくなるだろう。自分の五感が接する地点だけが、情報を得る手段になる」

を読んで、自分もそうなってきてるなと思う

インプットはドンドンして

アウトプットの時に

吟味すればいいじゃんと思ってたけど

インプットも

自分の五感が接する地点だけ

でいいかな

出会う人と出会う本からだけ

Blueskyは

バーチャルだけど

情報のある場所に出向く

「五感と接する」感はあるけど

Xは違うな

もう辞めるかって思ってから

なんか

書きやすくなったけどw】

ここしずかなインターネットでの2つ前の投稿で、ちょっとモヤモヤした気持ちを書いたけど、村上さんの文を読んで Xの嫌な投稿はいなせばいいかと思えた。彼や彼女として自分の前に存在しない人に対して自分の心をうまく御すことなんてできない

嫌な投稿を見てみぬふりをしている事がしんどいと思ったけれど、

言いたい自分がいたんだな。相手を罵倒したい自分がいたんだな。それほど深い関係でもない人に良い意見を言いたい自分がいたんだな。いかんいかん。言った後のあれこれに対応できる訳なかった

ある出来事に2人の当事者がいたとして、自分がどちらと関係性があるかで、言うべき事も変わるし、言い方も変わる。意見さえ変わる可能性がある

その人がちょっとした知り合いなのか、友人なのか、親友なのか、親族なのか、恋人なのかで、言える事も変わる。相手の気持ちがよく分かって、きっと元気になるであろう事がもし言えたとしても、それを言うべき関係性なのか。僕はリアルではそれを考えてた。言いたくなって不用意に言った事でお互いの距離感がおかしくなってしまう事もあったから。

2011年に故郷が津波に襲われた。1ヶ月後、家族に、親戚に、友人に会いに行った。近しい人がたくさんのものや大切な人を失った。僕に出来ることは少なかった。

その後、被災地に演奏しに行く事が何度かあった。みんな笑顔で音楽を楽しんでくれて、それは嬉しかったけれど、同行するミュージシャン達にとってはみんな「被災地の人々」だったけど、僕が気にかかかるのは故郷の顔の見える人達だった。

故郷でも演奏した。ほとんど知らない人だけど知ってる顔がいる。僕は彼や彼女に心を向けて演奏してしまう。共演者は皆に向けて奏でている。「俺、今演奏するよりあいつの家の片付け手伝いたい」とか思ったりして

演奏家としての自分と、この町に大事な人がたくさんいる自分との間でとても困惑した

Xでの事はその時程深刻な心の葛藤ではないんだけど、その時の気持ちを思い出した

これからは伝えたい、伝えた方がいいと思ったら会いにいこう。電話をしよう。LINEでもいい。会いに行ける人と、電話やLINEで話せる人と気持ちを交わそう。

たぶんそれだけで自分の容量はいっぱいになる。っていうかそれに心を使おう。

Xは忘備録的使い方か、音楽や珈琲で誰かの役に立ちそうな事だけを誰かに嫌な思いをさせないように気遣いながら書こう

blueskyは穏やかに書こう

そしてここ

しずかなインターネットがあれば心のバランスが取れる気がする

ここに書くキッカケをくれた人が2つ前の投稿に感想レターをくれた。

ここがあって良かった。ありがとうございます。(いつか珈琲屋でバッタリ会える日を楽しみにしています)

方針が決まって、なんか、力まず自然体で立っている武芸者みたいな心持ちになってきた。

別に強くはないけどね

@congacoffee
音楽のこととか珈琲のこととかぼちぼち書いてみようかなと。。 打楽器は40年弱くらいやってまして、 焙煎は45年くらいやってます