それぞれの過剰

以前、知り合いのガラス作家さんの工房に集まって様々なグラスで日本酒を飲み比べるという会をした。

音楽好きなガラス作家と、料理と旅が好きな編集者と、全方向に異常に感度の高い元編集者と、穏やかな百貨店バイヤーと、コーヒー好きのミュージシャン。

バイヤーが日本酒、編集者は食材、元編集者は備長炭、僕はコーヒーみたいな感じで持ち寄ってワイワイやった。

(この時の事は面白いのでいつかまた詳しく書いてみたいと思う)

それぞれの「過剰」を持ち寄ったこの会がとても面白かった。趣味というにはあまりにも「過剰」なものを持った人達。(本業も多分に過剰w)

で、本人はその「過剰」具合に気づいていない

僕もそうだった。コーヒーを好きになったのが昔過ぎて、コーヒーに関する事柄が日常過ぎて、こだわっているっていう感覚がない。

コーヒーをやらない人からすると僕のコーヒーに関する事柄は全部が「過剰」。まあ、毎日豆を挽いて湯を沸かしてコーヒーを抽出するだけでも十分面倒くさい事なんだと思う。

僕はこれが普通だけど、料理にこだわる人に味噌汁作る度に鰹節削るって言われたら「大変そうだなぁ」って思うだろうし。いろんな普通がある

一方、コーヒーが好きな人同士だとこだわる部分がけっこう違ってて面白い。この違いで深掘りし過ぎると険悪な感じになりがちなので気をつけたいw

さて、僕がコーヒーで特に「過剰」にこだわるのは何かなと思ったので書き出してみようかなと思う

生豆はナチュラル精製が好き。中深煎り以上で美味しくなる生豆ばかり探す。(最近は浅煎りも焙煎するけど)

焙煎だと、

ソーティングはきっちりやる。直火がいい。水蒸気の使い方。中深煎りでの香りの豊かさ。焙煎豆を赤みがかった黒色にする

抽出はだいぶややこしい。どんな液体にしたいかから考えるんだけど

ネルは焙煎度合いや抽出イメージで、綾織、平織、ヘンプ混を使い分けてて、それぞれ厚みも何種類かあって、淹れ方でネルの形状、縫い方、ハギ数を変える

ペーパーは円錐中心で、ネルでの思考をできる限り応用して考える。根本的違いは一応分かってはいるw

湯温は計る。(一旦沸騰させてからさます) 一杯取りはカップ直。サーバーはできる限りガラスか陶器。スケールは持ってるけどたまに計る位。(抽出の様子を見て湯を注ぐのだけれどだいたいいつも同じ量になる。数字を見るよりじっくりコーヒーを見て淹れる方が良いと思うって事です)

臼刃で粗挽き

湯はガスで沸かす。ヤカンはホーロー。

ドリップポットは注ぎ口の根元が太いものしか使わない。何軒か手本としている店があってその淹れ方をベースにする時はその店と同じポットを使う

飲みたい味でカップやグラスを変える。

サイフォンはKONO式一択

書いていて、様々な人に「君だから教えるけど」と言われて教わった事も多く、ここでもおいそれと書けない事がめちゃくちゃある事に気づいた(教わった事は実践して検証して納得した事だけ採用している)

なんか中途半端になってしまった。。。。。後日書き足すかもしれません

毎日上記のような事を考え検討しつつ道具を選んでコーヒーを淹れて飲んでいます。

一連が全部、ずっと面白いし楽しいです

で、美味しいんです。サイコーですw

@congacoffee
音楽のこととか珈琲のこととかぼちぼち書いてみようかなと。。 打楽器は40年弱くらいやってまして、 焙煎は45年くらいやってます