音楽学校に通うために東京に出てきて一人暮らしを始めた時、仕送りは家賃分だけだったから、アルバイトで生活費を稼ぎました。欲しいCDは多いし、コーヒーも飲みたいし、楽器も買いたいし。ライブも観たいし。
結局食費を削る事になるんです。
高校生の時もお昼ご飯代を削ってレコードやコーヒーを買っていたから、まあそうなるんです。
だからまかないのある飲食店でバイトしました。食べる事に興味がない訳でもないけど、同じものばかり食べる事にもそんなに抵抗はないみたいで、順調に音楽体験もコーヒー体験も増えていきました。
その頃家で食べるご飯はだいたい白米に鰹節をかけて醤油をかける「ねこまんま」か、同じ材料で作る炒飯だったんです。
貧しい食事のようだけど、
米は宮城の実家から送ってもらったササニシキ、鰹節は枕崎産の本枯節、醤油は和歌山の三ツ星醤油。
美味しんぼ世代丸出しですねw
友人には「ねこまんまとは言え最高の材料で作っていたんだ。と自分を慰めていたんだよ」と冗談っぽく言っていたんですけど、そんなに自虐的な気持ちでもなく、好奇心で買ってみた鰹節と醤油を使ってみたかっただけだったんですどね。凝り性の初期症状ですw
一方で良い材料ならそりゃそこそこ美味しくなるだろ?っていう冷めた気持ちもあって。
というのも、父親が料理が好きで、 日曜日に良い食材で手の込んだ煮込みとか作って「どうだ美味しいだろ?」と上機嫌で言ってくるのに対して 「美味しい」って言い過ぎるとお母さんに悪いよなぁ、家計をやりくりして短い時間でパパッと作ってくれる毎日のご飯もすごいじゃん、って思っていた自分を思い出すんですよ。
別にね、お母さんが「家計苦しい」とかぼやいていた訳でもないし、一般的な中流家庭だったんで、貧しい食卓でもなかったし、なんでそんな風に思ったのか、あんまり思い出せないんですけど、良い食材の趣味の料理と普通の食材の日々の食事を分けて考えてた節があるんですよね。
叔父さんが料理人だったからかもしれません。叔父さんのレストランに遊びに行った時に、厨房を見せてもらってプロの道具や料理が完成するプロセスにめちゃくちゃワクワクした事が強烈に記憶に残ってるんです。料理も綺麗で美味しかったし、ちょっと叔父さんに憧れちゃったりしました。そんな事もあって
プロの料理/趣味の料理/日々の食事
それぞれを道具も材料も目的も違う別のものとして見ていたのかもしれないです。
当時明確にそう思っていた訳ではなくて、父にしつこく「美味しい」を言わされるのがめんどくさかっただけかもしれないし、単にお母さんの味方をしようという、“ナイト気質男気”だったかもしれないです(↑そんな言葉はないw)
あのアパートで過ごした時間と、たくさんの思い出は今の自分に結構“直列”で繋がっているのだけれど
「ねこまんま」は割と宙ぶらりんなまま。美味しく食べていたけれど、コーヒーみたいにワクワクが続く事もなく、でも鰹節を買った店も醤油を買った店も鮮明に覚えていて強めに心に残っている。
今も料理をする時は丁寧に作るけど、道具選びも、材料選びも、出来上がりの味も、満足度合いがふわふわして確定しないんですよね。楽しいような、しゃらくさいような。
あの頃の「ねこまんま」を思い出すたびにどうにも足元が覚束ないような妙な感覚になります。
この気分は、音楽に魅入られ、その世界に足を踏み入れようともがいていたあの頃の「心の空気感」そのものなのかな?
書いているうちにそんな気がしてきました。