2.12

conomi
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高校1年生で参加した模擬裁判の同窓会に行く。6歳上の先輩から、3歳下の後輩まで、10年分の参加生徒と支援弁護士、そして先生方が集まって、賑やかで華やかな会だった。女子校だから、もちろん女子ばかり。みなとみらいの高級ホテル、隣の会場では結婚式。

正直なところあまり参加するつもりはなくて、こんな機会もう二度とないから行きなさいという自分と、やっぱり行きづらいし居心地もよくないだろうなという自分とが拮抗して、後者がやや勝っていた。帰省する目処も立たず一度不参加で連絡したのだけど、なんだか帰れそうということになり、せっかくだから参加しようと決意した(けっこう大きめの決心)。なにせ自分は高校を中退しているし、連絡を取っている友達は限られているし、大勢が集まる形式的なパーティーには不慣れで、そういう場自体があまり得意ではないので(こう書いているとなぜ行ったのか疑問)。いざ始まってみると意外にのんびりとした空気感で、2時間ずっと思い出を振り返るスピーチが続いており、あまり話さなくてもそこにいられるような感じだったので、すこしほっとした。話に花を咲かせる綺麗なお姉様たちに気後れしながら会場をあとにして、二次会には行かず同期3人でのんびりとお茶をして解散した。

一人ずつ前に立ってスピーチをする時間、今の自分について端的に語ることの苦しさがあった。みんなそれぞれ紆余曲折を経ているのだろうけれど、人生がうまくいっているかのように話さなければならないこと、決してそうしたいわけではないのに肩書きで瞬時になにかを測られてしまうことなど、そんなに長い時間を過ごしていないのにかなり気疲れしているのは、そのせいかもしれない。自分を他者に対して説明可能/理解可能な形で切り売りして差し出すこと。その対価として居場所を手に入れること。その苦しさをずっと抱えているし、それが研究テーマにも影響しているから、この違和感には価値があると信じている。

その場にいないひとや、取りこぼされているものにすぐ関心が向いてしまうので、楽しい場に参加していても、そういえばあのひとはどうしているだろうか、と考えることに浸って、うまく楽しめないことがある。帰宅して感じた違和感のことを話したら、まあそもそも話しづらいひとはそんな場に出てこないだろうし、と父が言った。たしかに来ていないひとはけっこういたし、連絡がとれないひとも数名いたそうだ。わたしはその場に出ていけただけですごく恵まれている、でも出てこないひとが恵まれていないわけではない。であれば自分は、出てこないひとの方へ勝手に呼びかける役をやりたい。ドアを叩き続けることが大事なの。着信履歴は、心配してるよっていうメッセージだよ。『コントが始まる』の瞬太の台詞。もし連絡がとれたなら、きれいな景色をみたり、美味しいものをたべたり、他愛もない会話をして、くだらないことで笑いたい。たとえエゴだと言われても。だからすぐに連絡をいれる。ここにはないなにかを拾えたらいいと願いながら。