「目的はどこなの?」窓際の席に座る詰襟の子が、セーラー服の子のほうを向いて言う。大学へ行くバスは金閣寺を通るから、いつも修学旅行生でいっぱい。目的地のことを目的っていうの、なんだかすごく鮮やかで、変に羨ましくなって、いかんいかん、と思う。目的はどこなんだろう。
大学に着くと、鉄骨のステージが片付けられているところだった。先週大学に来たときはちょうどステージが建てられていたから、そっか、この週末に学祭があったんだなあ、と思う。きっとこの場所で生まれたであろうさまざまなドラマや熱狂が、その空気をすこし含んだまま、もとの日常へとゆっくり溶け込んでいく。疲れ残ってへんか?と聞かれ、めちゃめちゃ残ってますー!と叫びながら足早に授業へ向かう学生は、とってもあかるく穏やかにみえる。どうかその疲れが、さまざまなうれしい瞬間を思い出させる標として残りますように。
日向があたたかかったから、授業までのあいだベンチに座っていたら、売店はどこですか?と声をかけられた。普段から人に声をかけられることが多いような気がするけれど、関西に来てからさらにその数が増えたように思う。人から声をかけられるとき、戸惑うこともあるけれど、自分がそこにいることを認識されているようで、けっこううれしいこともある。声かけ、いいね。
授業で発表をして、そのあと3時間くらいクラスメートと話していたら、あっという間に外は真っ暗で、終バスの時間になった。研究発表で、自分が話したい内容をあまり話せなかった、と愚痴をこぼすと、あなたは先生や学生にどんな質問をしてほしかったの?と訊かれた。色々と話をしているうちにやがて、わたしの発表内容のおおきな課題に行き着く。それは、とっても雑にまとめると、自分の臆病さが招いた混乱だった。むかし一緒にはたらいていたひとの話にもなった。彼がぼろぼろになって戦っていたのを、わたしも辛いふりをしながら、側で見ていただけだったのではないか。ぐるぐる考えながらバスに乗る。ずるい自分にとって研究とは、臆病さを受け入れ、自分が変わること。変わることを恐れないこと。もっともっと、巻き込み、巻き込まれ、開かれていたい。がんばれー。
その授業で中国からの留学生のクラスメートが、チョコレートのお菓子をくれた。ほかにも学生はいたのだけど、わたしが貰っていいの?と聞くと、あなたが好きで、渡したいから!と言われた。まっすぐで眩しくて、宝物を手にした気分になった。わたしも今度、お菓子を渡したいな。